とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

絶叫委員会

 日常の生活の中で巡りあったイタイ言葉、エッと思った言葉、アチャーと感じた言葉、そんな言葉の数々を紹介しつつ、日常と言葉のあり方について考える。いや、あまり考えることなく、感じたことを書き連ねているのかな。でも、さすが歌人らしい言葉への感性やこだわりが伺われる。なるほどね、と思うものもあれば、えっ、そんな微妙な部分で違和感を感じるの?と思うものもある。
 これ多分、編集者との間ですごく盛り上がっただろうなと思うし、よくこんなにたくさんの言葉をストックしてきたなとも思う。絶叫!するかと言えば、それほどでもないけど、ニヤニヤとしてくることは確実。
 うーん、言葉は恐ろしい。反省することしきりだ。

絶叫委員会 (ちくま文庫)

絶叫委員会 (ちくま文庫)

●「ああ、あたしはおじいさんに生まれなくてよかったって」・・・人間や時間や世界について、それくらい違った認識のなかをずっと生き続けるひとがいたらロマンティックというか凄いと思う。単なる間違いの領域を本当に突き抜けることができれば、新しい世界の現実を掴めるかもしれないのに、などと期待してしまうのだ。(P16)
●親しげな口調に困ったSは、はあ、おかげさまで、的な反応を続ける。そして、女性が誰だったかを必死に思い出そうとする。彼女はそんなSの様子をみて、にこにこしている。にこにこ。にこにこ。にこにこ。それからおもむろに自分の顔を指さして云った。「知らない人よ。あなたの知らない人」(P52)
●「こんばんは、やどかりなんですけど」・・・自分のあたまを占めていることを、何も考えずにそのまま口に出した感じだ。どうしてそんなに大胆になれるのか。世界と他者に対する恐れのなさが羨ましい。だが、そういうひとは決して、珍しくはない。(P128)
●そんな様子をみていると、人間には世界そのものを生きるってことは不可能で、ひとりひとりの世界像を生きているに過ぎないってことを改めて感じる。世界が歪むと云いつつ、実際に歪むのは世界像であって、世界そのものは微動だにしていないのだ。(P140)
●何故、矛盾してはいけないのか。そんなことをふと思う。矛盾してはいけない、というルールは本当に合っているのか。いや、合っていないといけないという考えは合っているのか。/これは間違いが人間らしさの現れとか、そういう話ではない。天然的な間違いは本当は間違いとは別の何かなんじゃないか。無矛盾性や辻褄や正しさへの拘りが人間同士の争いを生んでいるのなら、我々が未来を生きるためには、天然の力を浴びて、今はまだ間違いと呼ばれている深層の正解を守り育てるべきなのでは。(P162)