とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

若い人の見方が当たり前になる時代

 日曜日の朝は、磯野貴理子らの「早く起きた朝は」を見て、「ボクらの時代」を見て、それからチャンネルを替えて「がっちりマンデー」を見て、「サンデーモーニング」に至る。時々「目にテン」や「時事放談」を見る。
 「サンデーモーニング」は関口宏を始めとして、いかにも高齢者を対象とした番組内容だが、時々若いコメンテーターが出演する。最近は荻上チキがよく出演して、他の中高年のコメンテーターとは一味違ったコメントを述べている。
 先日も衛藤首相補佐官の発言を巡って、他のコメンテーターは過去の政府の方針等との連続性を問題にしたが、荻上は「発言があまりにナイーブ」とした上で、「効果を計算して発言をすべき」といった趣旨のコメントを述べた。当たり障りのない右寄りの発言という見方もできないことはないが、私には過去に捉われない発言という印象に感じた。
 最近、開沼博古市憲寿、國分威一郎など若い社会学者の著作をよく読む。これらを読むと、我々50代以上の者がいかに過去の考え方や結果に捉われているかがわかる。もちろん過去を知っていることは必要だし、経験が生み出すものも多いが、過去を知らないからこそ見えてくるものも多くある。
 昔、ある若い女性に、「オリンピックにはプロ選手は出場できなかった」と言ったら、ひどくびっくりされたことがあった。どうしてそんな規定があったのか理解できないようだった。今になってみれば、私にもなぜそんな規定があったのか説明できない。時代はすっかり変わった。そのうち、オリンピックの表彰式では金メダル受賞者の国旗が国歌とともに掲揚されたということすら「信じられない」と言われる時代になるだろうか。もちろん私はそんな時代が早く来ることを望んでいる。
 若い人の見方・考え方は次の時代を先取りしている。それは私にとって必ずしも心地よい時代だというわけではないのかもしれない。でも、過去を知らない視点から見れば、違い社会が見えているのだろう。