とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

お別れの会

 先週、ある大学の先生が亡くなった。正確には昨秋、すべての公職から降りられたので、某大学名誉教授というのが先生の肩書だ。大学の研究室の先輩である。私が入学した時には先生のおられた研究室は別の愛弟子が継いでいたので、従妹のような関係になるのかもしれない。いずれにせよ、20数年前に初めてお会いした時からたいへん可愛がっていただいた。数年前にはある研究会の立ち上げにあたり、先生が会長をやるからおまえは幹事をやれと言われ、実質、会の運営を行ってきたが、先生の顔があってこその研究会だった。その研究会を今後、どう運営していくのか、話もしないうちの突然の訃報だった。
 昨秋から体調を崩され、入院をされた。その時には、「薬物で治る程度の小さな胃癌が見つかったが治療を続ければ春には復帰できる」という話だった。それが3週間ほど前に突然、「肝臓への癌の転移があり余命3か月」と先生の研究室出身の方から伝えられた。先生と懇意にしていた多くの研究者の方々がお見舞いに行かれたが、私は年度末で忙しく、体調もすぐれなかったため、4月に入って落ち着いたらお見舞いに行こうと思っていた。
 ところがそれからわずか2週間。4月1日に訃報が届いた。まるでエイプリルフールのような訃報だった。その際、葬儀は親族のみで行い、別途、お別れの会を催すという話が伝えられた。そして翌日、お別れの会の案内が届いた。
 「無宗教で行います。供花・供物はお断りします。賑やかに送り出したいので、なるべく多くの方に声をかけてください」と添えられていた。すぐに出席を決めたが、服装や香典についてどうしたらよいかわからない。ネットで検索し、周囲の者にも話を聞き、結局、服装は礼服、香典は白封筒に志と書いたものを用意した。
 当日、やや早めに着いた。受付を経て会場に至る部屋に先生の幼少からの写真アルバムや先生が作成された冊子、趣味で毎年作製された木版画の年賀状などが展示されていた。祭壇には色とりどりの花が活けられ、その中央に先生のやさしい笑いがうかぶ顔写真が飾られていた。そして棺がまだ並べられている。出棺は翌日で親族だけの告別式が行われるとのこと。
 受付ではお返しの他に、お別れの会の式次第と、思い出の木版画が印刷されたカードなどが渡された。A3版二つ折りの次第を開くと、先生の人生史が図表になっている。先生はこまめな方で60歳の時、そして70歳の時に人生を振り返る「私の履歴書」というタイトルの冊子を作成し、懇意の方などに配られた。そこから抜いて補填したものだ。私と一緒に立ち上げた研究会のことも小さく書かれている。先生の55年に及ぶ研究人生の中ではほんの小さな出来事だが、こうして先生の気に留めていただいていたことがうれしい。
 会の冒頭、息子さんから「お別れの会の趣旨説明」が語られた。先生の意向とのことだった。続いて、大学の同級生で、卒業後、同じ地方大学で教鞭を取ってこられた無二の親友から、故人プロフィールの紹介があった。楽しい紹介で時々笑い声が漏れた。続いて弔辞。全部で6名の方からお話があった。研究室の後輩、第1期の卒業生、そして先輩の大先生。それぞれいずれも楽しい話をされた。硬い原稿を用意されていた方も雰囲気を察して、フリーで思いつくまま思い出を話された。先生は本当にざっくばらんで誰彼かまわず明るく楽しく人懐っこく、その性格に誰もが魅了された。先生が明るく振る舞うといつしか難題も楽々乗り越えられるような気分になり、深刻な話も最後はよしやるぞとやる気が漲った。どなたの話からもそんな人柄が浮かび上がった。
 続いて、奥さんが所属しているコーラスグループの先導で、みんなで歌を歌う。「はるかな友に」「あかとんぼ」「ふるさと」。先生は大学時代、合唱部で奥さんと出会い、結婚されたとのこと。もっとも先生の歌は聞いたことがなかったな。歌いながら思わず涙がにじんできた。
 その後、参列者による献花。色とりどりの花々を先生の棺の前に置いていく。私は黄色いチューリップを置いた。私は早めに会場に到着したので幸い、椅子に座らせてもらったが、振り返るとホールの外に長蛇の列ができている。総勢500名ほどもいただろうか。先生を偲ぶ人が集まるには一般の葬儀場では狭すぎる。
 そしてご家族一人一人から挨拶があった。まず長女さんが思い出を語る。家族への愛と人柄がにじみ出るお話。続いて次男さん。父親のことを名前で呼び捨てにするその言い方が家族の絆の太さを思わせる。続いて奥さん。それぞれがウィットに富んで楽しく、そして哀しい。最後に長男から、死の直前に病床で録音したというテープが流された。
 「・・・気持ちよく死んでいきます。・・・死ぬのはどんなかと思っていたが、死んでみたら大したことなかった・・・」。苦しそうな息の合間にかすかにそんな言葉が聞こえた。死んでみたら大したことなかった・・・。先生、この時はまだ死んでないでしょ!
 最後に長男さんからお礼の言葉が述べられる。先生の結婚式は50年前にして既に無宗教の人前結婚式だった。だから葬式も人前式でやってほしい。そういう意向でこの会を催したと語られた。今や人前結婚式は当たり前になった。数十年後には、この日のようなお別れの会が当たり前になるのだろうか。きっとそうだと思う。いかにも先生らしい先取的な試みだ。最後まで先生らしい会だった。先生らしい死に方だった。最後まで強くやさしく明るい人生だった。会の開かれた土曜日は友引。多くの友を集め、みんなに見送られて先生は旅立っていかれた。