とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

人類みな首狩り族

 クールビスの話ではない。本当の首狩り族の話。いや、本当かどうかわからないけど。
 連休前に入社当時に交流のあった社員と約10年ぶりに会った。GWを利用して明日からマレーシアに行くと言う。首狩り族の部落でホームステイするのだそうだ。マレーシアで首狩り族?
 と疑問に思ったのは、先日までバルガス・リョサの「密林の語り部」を読んでいたから。
 「密林の語り部」によれば、ペルーの奥地、アマゾン川流域にはヒバロ族という首狩り族が住んでいるという。それでマレーシアにも首狩り族がいるのかと検索してみたら、ロングハウスで有名なイバン族という部族が首狩り族だという。友人もホームステイするという位だから、当然、既にその風習は廃れてしまったが、首を切るというのは一部の地域の話ではなく、世界中さまざまな地域で見られた風習らしい。
 と他人事のように書いてみたが、考えてみれば日本だって戦国時代はいくさの際に敵の首を掻いて、首級を持ち帰って殊勲にしたと言うし、切腹した際には首を切って介錯をする。いや、フランスではギロチンという首切りの死刑執行装置があったし、Wikipediaによればスコットランドにも首狩りの風習があったそうだ。
 結局これは、頭部が人間の身体の中でも特別な部分とみなされてきたことの表れなんだと思う。その感情は人類共通のもので、文化や社会の変化の違いによって遅くまで首狩りの風習が残っていたところが首狩り族という名を与えられたに過ぎないのだろう。
 それにしても、頭部は首から下と違ってそれほど大事な部分なのに、心は心臓にあると看做されたのはなぜだろう。知性は頭(脳)に宿り、感情は血に根差すということかな。マレーシアに行った彼が心を首狩り族に取られないことを願っている。退職してマレーシアへ移住しますなんて言い出さないように。