とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

プレミアリーグは、なぜ特別なのか

東本貢司は「サッカー批評」の書籍紹介や英国情報でいつも、楽しくも熱のこもった記事を書いている。先日読んだ「夢想するサッカー狂の書斎」で本書がかなり高い評価がされており、さっそく購入し読んでみた。
 本書が出版されたのは2012年10月。香川がマンUへ移籍し、プレーを始めた頃だ。そういう意味では、数多ある香川本の一つと言えるかもしれない。確かにマンチェスター・ユナイテッドに関わる話題も多く掲載されている。書き出しも香川真司の話題で始まる。だが読み進めるに従って、なるほど佐山一郎が高い評価をした理由がわかってくる。
 イギリスのサッカーの歴史と言えば後藤健生の著作を読んでおけば大体は網羅されていると思い込んでいた。だが、実際にイギリスのパブリックスクールに入学し、同年代のイギリス人と一緒に多感な青春時代を過ごした経歴を持つ筆者が描くイギリスは、後藤とは違う。身体に沁み込んだイギリス人のサッカーへの思いが直に伝わってくる。
 中でも熱い思いが描かれているのが「第4章 ザ・ヒューマン・ファクター」だ。なぜイギリス人は「キック&ラッシュ」にあそこまで深い思い入れがあるのか。それは「フェアプレーの精神」と重なり、イギリス人のハートを揺すぶるまさに「ザ・ヒューマン・ファクター」なのだ。
 また、「第2章 異説―スコットランドこそ”母国”」も面白い。ケルト人とアンゴロサクソン人の違いを心熱く紹介する。第5章以降は、ファン、プレーヤー、監督、そしてマンチェスター・ユナイテッド、さらに最近のフットボール・バブルなどを描いていく。
 それらには多くのマニアックな知識に溢れ、東本貢司でなければ書けないイギリス愛とフットボール愛に満ちている。読んで熱く、手元に置いて楽しいサッカーファン必携の書籍である。大きな文字の新書サイズであっという間に読み終えてしまうのがもったいない。

プレミアリーグは、なぜ特別なのか(祥伝社新書293)

プレミアリーグは、なぜ特別なのか(祥伝社新書293)

●「イングランド母国だという根拠は、我々の祖先を出し抜いてさっさと統一ルールを作っちまったってことだけなのさ」・・・だが、そこでスコットランド人たちは、意地になって「うちが本当の母国だ」と論争したりする無様な真似はしなかった。その代わりに要請があれば、”どうしようもない”イングランドでもどこでも賭けつけて、「サッカーってのはこうプレーするんだよ」とお手本を示すことに徹した。/つまり、”身をもって”真の母国の意義を伝えたというわけだ。(P38)
●「勝たねば許されぬ」ガチガチの使命感で冷や汗ぐっしょりのイングランドと、「勝負を超えたスリル」に酔ってあっけらかんと肩を抱き合えるスコットランド。/要するに、お互いに”異なる民族”なのである。”先住”のケルトと”移民”のアングロサクソン。しかも後者は、ローマ帝国支配とノルマン人の”英国王室乗っ取り”などで、簡単に割り切れない複雑な血の背景を持っている。/そのせいか、某人類学者に言わせれば、「イングランド人は、無意識に民族的アイデンティティーの欠如というコンプレックスを引き摺っている」らしい。(P49)
●スポーツにおける「フェア」の本来の意味は、・・・突きつめれば「まったく対等の立場でまったく同じ戦い方をして、最終的に優劣を決める」というのがその理想形である。/この場合、「優劣を決める」ことよりも「まったく対等、同じ」という部分をはるかに重んじる点がキモ。このことを端的に表現してみせたのが、かの伝説の名将、サー・マット・バズビーの名言である。「・・・名誉のための勝利に価値はないが、全力を尽くしたなら何ら敗戦を恥じることはない。フェアな精神の下に最高のスキルと勇気を尽くした喜びに勝るものはない」・・・この言葉を前にして、改めて思うのだ。サー・マットの理想が綿々と生き続けているからこそ、プレミアリーグのゲームは観る者を熱くとらえて離さないのではないか。そしてその究極の”ヒューマン・ファクター”こそ、「キック&ラッシュ」なのではないだろうか。(P85)
●サポーターとは、ピッチの上で闘っているプレーヤーたちと心を一つにして”共に闘う”同志に違いなかった。・・・彼らはきっと信じている。自分たちが行かなければ、自分たちも同じ空間にいて共に闘ってやらねば、と。・・・だから、少々負けが込んでも、調子が悪かろうがパフォーマンスに弛み、緩みが感じられたところで、ならばなおのこと、憤りと期待を胸に馳せ参じないわけにはいかない。スタジアムに空席を目立たせるなどあってはならない、それは仲間への裏切りに他ならない。(P211)