とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

小川洋子の陶酔短篇箱

 小川洋子が選定した短篇が16篇。1974年生まれ、日和聡子の「行方」から、1873年生まれ、泉鏡花の「外科室」まで。戦前生まれの作家が11名。いずれも男性で、戦後生まれの作家は川上弘美を始め、みんな女性だ。ちなみに女性陣は川上弘美以外はみんな知らなかった。男性作家はほとんど知っていたのに。
 短篇の内容もそれぞれ。淡々とした私小説もあれば、幽霊話、幻想的なもの、戯曲風。川上弘美らしいユーモアもあれば、岸本佐知子は塔を巡るエッセイを書く。
 そして16篇の後ろにそれぞれ小川洋子が解説エッセイを書いている。これって本当に解説なの。短篇を読んで触発され、思い浮かんだことを書き綴る。「文鳥のピアス」「ズロース問題」「バニーガールの尻尾」など、小川洋子らしいウィットに富んだエッセイがそれぞれの短篇とコラボして楽しい。
 厚い本だが、意外に簡単に読めてしまう。短篇らしい展開の早さのせいかもしれない。

小川洋子の陶酔短篇箱

小川洋子の陶酔短篇箱

●その手を見れば、先生がいかに遠い場所を旅していたかが分かった。肉体の密林に分け入り、細胞の湖に潜り、DNAのらせんをどこまでもたどっていった果てから、ようやくこちらの世界へ戻ってきたのだ。/だからきっと、手術室の時間の流れ方は特別なのだろう。生命の源泉の一滴から、死の一歩手前まで、ダイナミックに時が渦巻いている。(P54)
●ここで一番大切なのは、ズロースとは何か、という問題である。いつの間にか逢びきは、すっかり古風な言葉になってしまったが、ズロースもまたほとんど死語と言っていいかもしれない。昔おばあちゃんが使っていたような記憶がうっすら残っているだけで、ズロースの実体を正確に思い浮かべるのは難しい。・・・ところでなぜ私は、ズロースやパンツについてこんなにもあれこれと考えを巡らせているのだろう。・・・すべて木山捷平のせいだ。・・・私はこうして延々とズロース問題から抜け出せないでいる。(P112)
●人が自分の生活をハカナクして、出て行く時のことを私もよく考えることがあった。それは確かにいくつかの予兆がある。例えば、パン屋から出てきたら雨が降っていたから、たてかけてあった他人の傘をさしてきてしまうとか、図書館で借りた推理小説をわざと自然科学に棚に返して置くとか。/人は何かが少しずつ動いたり、なくなってしまう、といった現象を知らないうちに手伝っていることがある。(P130)
●そこにあるのはただ、空想に対する敬意だけだ。/私たちはとても良好な倶楽部運営をする。空想に浸る相手を優しく見守り、尊重し、賛美を贈る。互いのすべてを肯定し合う。会則の表紙を撫でながら、私はうっとり微笑んでいる。/なのにあの空想倶楽部はどこへ消えてしまったのだろう。つい先ごろまでは確かに、私の空想の中に存在していたはずなのだが。(P311)
●塔。何という魅惑的な言葉。発音した時のさり気なさとは裏腹な、かっちりとして頑丈そうな漢字。それを見つめているだけで、もう私の心はそれに登ろうとしている。土偏の下の出っ張りに足を掛けている。・・・塔の住人になった以上、仕事のことは忘れるべきだ。というより、閉じ込められた自分自身が世界から忘れられるべきなのだ。そのための塔なのだから。(P354)