とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

ないもの、あります

 疲れた時にはクラフト・エヴィング商會。軽ーく読めて、面白く、けっこう知的で、あっという間に読み終わる。もっといつまでも読み続けていたいと思わないではないけれど、クラフト・エヴィング商會の商品にも限りがある。粗悪濫造品は見たくない。
 本書には、あるようでない、ないけど見てみたい、あってほしい、そんな商品がたくさん並んでいる。全部で26品。文庫本化にあたって、新たに3品、入荷して並べられている。どれが新製品かはわからないけどね。
 読みながら、みんな同じようなことを思っているんだなあ、と思った。いや、もちろん意外な展開、そう来るか、というものも多いんだけど、みんな「ないもの」の前では本性が出る、というか、それが人間の本性なんだろうね。「みんな、実はこんなこと、思っているんでしょ」と人の心の深層を抉ってくる。それが快感。
 でもあえて真面目に思えば、「人間、ないものを得ようとして碌なことはない」ということ。「ないものはない」として、「あるもの」で何とかしようとしなくては。そう、まるで村上春樹の小説で出てくる愛すべき主人公たちのように。「ありあわせのもので何とかする」。それは内田樹も日頃から言っているブリコルールのことですよね。(「ブリコルールの心得:内田樹の研究室」から)

ないもの、あります (ちくま文庫)

ないもの、あります (ちくま文庫)

●本商品はいったん購入されましたら、常時バタバタとあおいでいただくことになっています。あおぐ手をひとたびでも止めてしまいますと、当然ながら<左うちわ>の状態を維持できなくなり、ただの遊び人、ごろつき、世捨て人と見なされてしまいます。・・・うっかりしますと、<左うちわ>のつまりが、「左前」になってしまいます。ご注意を。(P20)
●ある程度の大人になりましたら、御自分の棚の規模を把握しておきませんと、調子に乗って、どんどん自分を上げてしまい、収集がつかなくなることがあるのです。/なにより、棚は、貴方が想像しているほど大きくはありません。/のみならず、そんなにも次から次へと自分を棚に上げてしまったら、棚に上げている方の自分が、どんどん減少してゆき、最後には、自分のすべてが棚に上がってしまって、棚の下には何も残らなくなってしまいます。(P43)
●<思う壺>などとはいっても、決して「壺」が何かを企んだりするわけではありません。「壺」はいつでも、ただの空っぽの「壺」であり、「壺」以外の何ものでもありません。「相手」であれ「自分」であれ、何かを企むのは、いつでも人間であることをお忘れなく。(P53)
●この<一筋縄>なるもの、徹底して不便に出来ています。確かに「一筋」なのですが、極端に短く、重く、固く、およそ縄としての存在理由が見つかりません。/この商品の利点は、貴方が<一筋縄>で、まとめ上げることのできなかったものの「大きさ」と「手ごわさ」とを、痛いほどはっきり示してくれることなのです。すなわち、貴方の真の力を教えてくれる道具なのであります。(P92)