とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

一神教と国家

 「イスラームキリスト教ユダヤ教」という副題が付いているから、これら一神教について比較し説明する本だとばかり思っていた。そのためのイスラーム学者を招いての対談本だと。しかし対談相手の中田氏はイスラームの実践者にして、カリフ制を主張しているイスラーム学者。カリフ制とは何か。それは国民国家を否定し、イスラームでつながるグローバルな世界を実現する仕組みだと言う。そしてイスラームこそ、アメリカン・グローバリズムに代わり、世界に平和と宥和をもたらすグローバリズムだ。その意味が二人の対談を通して次第にはっきりとわかってくる。
 もちろん内田樹イスラームに帰依するわけではなくて、レヴィナシストの内田氏からはユダヤ教的な世界観が語られるわけだが、ユダヤ教イスラーム教は、イスラエルパレスチナの民族紛争があるにも関わらず、意外に親和性が高い。遊牧民の理屈で通じあう。
 だがそれでは困る西洋型グローバリズムイスラーム圏を解体しようとする。それにまんまと嵌って混迷する中東世界の現状を、中田先生の視点から分析する。ムスリム同胞団は実は似非イスラームであり、反イスラーム団体だと言う。カリフ制の立場から見える中東の現状は、これまで日本で報道されてきた視点と全く異なっている。
 イスラームを語りつつ、アメリカン・グローバリズムを批判する。これまでになく刺激的で簡明で興味深い。面白くあっという間に読んでしまった。

イスラームは、僕たちから見ると、どうも人間に対して要求することが多すぎるような気がします。けれども、その根底にあるのは、まことに生々しい、生きる、死ぬ、食べる、飢える、渇くといった生理的現実ではないか、そういう身体感覚が根本にあるのではないか。(P90)
●リベラルというのは、状況に対する宥和的な構えのことで、思想ではないですからね。・・・リベラルの真骨頂は「自分たちは『まあまあ、そんなにとげとげしくならずに、どうです、ここは一つナカとって』」という寛容と和解のノウハウにあるわけで、思想的な真偽とはレベルが違うんです。(P108)
イスラーム国民国家という枠組みとは相性が悪いんです。もともと遊牧民的な集団ですから、クロスボーダーな仕方で連帯している。・・・だから、遊牧民的な連帯を打ち砕こうとするなら、普通の敵国を軍事的に攻撃する場合とは逆になる。国民国家・領域国家それぞれの主権と独立性を強化し、隣国との利害の対立を強め、国民同士が憎しみ合うように仕向ける。・・・それがイスラーム圏におけるアメリカの基本的な戦略だと思います。(P141)
●動物行動学や人間学の知見に照らしても、生物のデフォルトは同種間は言うに及ばず異種間でさえ相互殺戮ではなく共存であり、争いは必ず起こるにしても例外です。・・・シリアに話を戻すと、むしろ政府のあるダマスカスの方が誘拐や強盗が頻発しておりはるかに治安が悪い。それを見て私、たしかに中央集権の政府がある方が便利だし、物質的には豊かなのかも知れないけれど、それって程度問題に過ぎないのだとしみじみ思いました。政府なんかなくてもイスラームは十分やっていける。・・・ムスリムはボーダーレスなグローバリストだということも改めて思いました。(P181)
グローバリズムの世界は、国民国家が解体して、最終的には自己利益をひたすら追求できる「強い個体」しか生き残れないわけですけれど、中田先生の考えるカリフ制イスラーム共同体はむしろ「弱い個体」をどうやって支援するか、どうやって扶養するかということが最優先課題である一種にゲマインシャフトですよね。それが二つのグローバル構想の本質的な違いがもっとも際立つ点だと僕は思います。アメリカン・グローバリズムは「貨幣ベース・市場ベース」、カリフ制は「生身の人間ベース」、そういうふうに僕には見えます。(P226)