とんま天狗は雲の上

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想像するちから

 先日、「チンパンジーはヒト科の仲間。人間とチンパンジーの違いは『想像するちから』」という記事で、京都大学霊長類研究所の松沢所長の講演会の報告をした。その際に先生が紹介されていた自著「想像するちから」をさっそく図書館で借りて読んでみた。面白かった。
 基本的には講演会で話されたことと同じ内容のことが書かれている。チンパンジーはヒト科の仲間であること。チンパンジーの研究を通して「人間とは何か」を探る「比較認知科学」という学問のこと。そしてチンパンジーになくて人間にあるものは「想像するちから」だという持論。それらが図表や写真もまじえてより詳しく説明されている。
 それにしても、本書でもチンパンジーに対して一人二人と数え、男性女性と記述する。「長めのエピローグ」に「対象に対する愛着をもたない研究に、どういう意味があるだろう」(P183)という下りがあるが、まさにそれを実践されている様子が眼に浮かぶ。すばらしい。そこまで没頭できる人生とは、まさに「人間」冥利に尽きるという気がする。

想像するちから――チンパンジーが教えてくれた人間の心

想像するちから――チンパンジーが教えてくれた人間の心

●現在は、われわれ人間(ホモ・サピエンス)しか人類がいないが、これは歴史上めずらしい事態で、人類はいつも複数いるのが普通だった。/関連してもう一つ・・・猿人、原人、旧人、新人と教科書には書いてあるけれど、・・・一直線の進化を人類が遂げたのではない。猿人と原人は同時代を生きていたし、原人と旧人、さらには旧人と新人も、同時代を生きていた。それぞれが同時代を生きた別の人類であり、それぞれが死に絶えたということなのである。(P8)
●人間とは何か。その答えは「共育」、共に育てるということだ。共育こそが人間の子育てだし、共育こそが人間の親子関係である。・・・共に育てる、共に育つ。それが、「人間とは何か」ということについて、生活史や親子関係から見たときの、人間の特徴だと結論づけたい。(P42)
●霊長類は四足動物ではない。手ばかりが四本あるのだ。霊長類の昔の呼び名は四手類といった。・・・樹上生活への適応によって霊長類は四つの手をもっている。それが・・・地上でも活動するようになると・・・手と足というように分化し始めた。・・・人間は立ち上がることによって、手をつくったのではない。人間は立ち上がることによって、足をつくった。(P54)
●人間の教育の一つのかたちというのは、「認める」ということにある。逆にいえば、人間の子どもには「認められたい」という強い欲求がある。それがチンパンジーとの大きな違いだ。教育における「認める」という行為の重みをあらためて意識している。(P141)
●チンパンジーは、「今、ここの世界」に生きている。だからこそ、瞬間に呈示された目の前の数字を記憶することがとても上手だ。しかし、人間のように、百年先のことを考えたり、百年前のことに思いを馳せたり、地球の裏側に住んでいる人に心を寄せるというようなことはけっしてしない。・・・今ここの世界を生きているから、チンパンジーは絶望しない。・・・たぶん、明日のことさえ思い煩ってはいないようだ。それに対して人間は容易に絶望してしまう。でも、絶望するのと同じ能力、その未来を想像するという能力があるから、人間は希望をもてる。・・・人間とは何か。それは想像するちから。想像するちからを駆使して、希望をもてるのが人間だと思う。(P181)