とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

ようやく氷の壁に異論が、って、みんな冗談でしょって思っていたんじゃないの?

 昨日の原子力規制委員会で多くの意見があったことから、東京電力による福島原発の汚染水対策としての氷の壁作戦について疑問視する記事がマスメディアでも報道されるようになった。ネットではだいぶ前から凍らない壁に手作業で氷やドライアイスを放り込む作業の様子が報じられ、「嘘だろ」とか、「あきれた」といった感想が多く言われていたが、ようやくマスメディアも同様の報道がされるようになった。優良顧客である電力会社に対する配慮もあったのだろうが、本当に「ようやく」という気がする。
 多くの人は、氷の壁作戦と聞いて、「ホンマかいな」「冗談だろ」と思っただろうし、私もそれって、原発事故の後、自衛隊のヘリコプターから水を投下したような戯画的な計画だと思った。まさか実際に実施することはないだろうと思っていたところが、トントン拍子に大きな批判をされることもなく着工された。そして今回の顛末。ホント、あきれた。開いた口がふさがらない。
 昨日の報道ステーションでは、コンクリートや鋼鉄製などの恒久的な壁ではなく、氷の壁に固執した理由が経済的なものだという報道をしていたが、本当だろうか。それって初期投資と完成後の維持管理費等も含めた総コストとの比較が全くできていなかったということじゃないか。だいたい氷の壁を凍らせ続けるためには膨大な電力が必要になることは目に見えているわけだし、その電力をどこから調達する計画だったんだろうか。まさか福島原発を再稼働してというわけじゃあるまいし。
 いったいどういう検討をすると、氷の壁作戦が実施に移されるなんてことが可能となるのかと疑問に思うが、科学技術では最先端と思われている日本でこういうことが起こるということが、日本という社会がいかに保有する技術とそれをコントロールする政治や文化とがバランスできていないかを思わせる。高度なハードに対して、それを扱う社会や人間力が未熟すぎる。そもそもそうだからこそ福島原発のような事故が起きたわけだが、今回の氷の壁問題を思うと、ますますそれを実感する。
 そしてリニア新幹線や東京オリンピックも数年もすると、誰がそんなこと本気で考えていたんだとなるような気がする。人口減少という時代に変わり目にあって今の社会はあまりにノー天気でノーアイデア、ノーアクションだ。それにしても氷の壁作戦はあまりにマンガ的すぎる。原発事故はやはり大きな時代の変わり目を象徴する事件だったのだと思う。