とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

もし朝日新聞が廃刊となったら

 幼い頃、わが家は毎日新聞を取っていた。近所の家はみんな中日新聞だったので、親に「どうしてうちは毎日新聞なのか」と聞いたら、「新聞店の人に頼まれたから」と言っていた。よくよく聞いてみると、その地域では同じ新聞店が中日新聞毎日新聞も扱っていて、自営業を営み、新聞にこだわりのないわが家には毎日新聞の購読を頼んでいたということであったらしい。
 結婚して独立した時には私も中日新聞を購読するようにした。静岡県出身の妻もこだわりはなく、それでも広告チラシの多いことでは中日新聞を評価しているみたいだ。妻の実家は結婚当時は読売新聞を購読していたが、いつからか朝日新聞に変わっていた。理由は聞いていない。普通の家でも購読誌を変えたりするんだと思った記憶がある。
 最近、朝日新聞へのバッシングがひどい。首相自ら朝日新聞バッシングに参加するし、新聞下段に掲載される雑誌の広告欄ではさらにひどい表現が並んでいる。まさにいじめっ子を見る思いだ。いじめっ子の加担はしたくない。これらの雑誌は買わないでおこうと思う。
 今朝、新聞を読んでいたら、佐藤優の「あえてエールを」と題するコラムが掲載されていた。多様な価値観を守るためにも朝日新聞にはがんばってほしいという趣旨のコラムだ。その中に「一部の有識者が『朝日新聞は廃刊を!』と声高に叫んでいる」という一節がありびっくりした。やはりこの種のいじめ気質の有識者には関わらないでおこうと思った。
 それはさておき、朝日新聞が本当に廃刊になったらどうなるだろうかと考えた。朝日新聞の購読者は「それでは仕方ない」と読売新聞や産経新聞に変えるだろうか。論調があまりに異なるから、簡単に変更するとは思えない。妻の実家はどうするだろう。これを機に新聞の購読をやめるかもしれない。そもそも最近は義父も高齢となり、あまり新聞を読んでいる姿を見かけない。
 若い世帯では新聞を購読していない家庭も多いと聞く。ニュースは最新のものがTVで放送されているし、批評や論評はネットの方がより多様な意見に触れることができる。もし朝日新聞が廃刊となったら、それは新聞業界崩壊のきっかけになるかもしれない。ついでに雑誌も売れなくなるだろう。既に新聞・雑誌とも発行部数は一時に比べれば大きく下がってきている。これらの紙媒体に寄稿する評論家・有識者の需要も大きく下がる。依頼仕事も減るに違いない。
 朝日新聞を攻撃している新聞社や雑誌社、有識者は、ライバルを攻撃しているようで実は自らの業界の土台の一部を攻撃しているのではないか。まさに自爆攻撃。そこまでしていったい彼らは何を目指しているのだろうか。まるでその姿は崖に殺到するレミングの群れを見ているような気がしないでもない。気持ちが悪いので私はあまり見ないようにしている。