とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

サッカー批評(70)

 「サッカー批評」が変わった。巻頭の「70号 特別寄稿」に驚いた。なんと金子達仁が書いている。これまでサッカー批評金子達仁に対して批判的ではなったか。他にも、「Number」系のジャーナリストが多く執筆をしている。ついに文藝春秋に乗っ取られてしまったか。いや、女性ファッション誌だったエッジ・スタイルの編集者・渡辺拓滋が編集長をやっている。なるほど、そういうことか。
 それでも金子達仁のクサイ記事はさておき、加部究杉山茂樹の分析記事は面白い。「日本サッカー再生論」がテーマだが、アギーレジャパンがまだ始動していないうちに、アギーレ監督を批判することもできないので、サッカー協会とザッケローニ監督への批判が主になる。「日本サッカー改革への提言」と題するジャーナリストたちによる緊急座談会の記事が掲載されているが、まるで居酒屋のサッカー談議のような外部からの無責任な言いっ放し記事でつまらない。あ、それなら清水英斗の方が戦術的に的確で面白い(「だれでもわかる居酒屋サッカー論」)。一方で、杉山茂樹の「ザッケローニは非攻撃的サッカーだった」という指摘は興味深い。大久保嘉人も的確にザッケローニ・サッカーの非プレッシャー性を指摘している。
  これまで「サッカー批評」誌の魅力だった社会論や国際政治、経営戦略等に関する記事はほとんどない。ドワンゴの夏野とサイバーエージェントの藤田に聞くインタービュー記事があるが、掘り下げは浅く、新自由主義的な言動を載せているだけ。巻末にいつものように「読書プレゼント係」宛てのハガキが付いている。でも本文の中にプレゼント・ページがない。何なんだ、これ? 当然、感想も送れない。
 これまで創刊号から継続して70号まで購読してきたが、もうやめようかな。ひょっとして全巻揃えてブックオフに持っていくと高く買ってくれるだろうか? 誰か欲しい方は申し出ください。

サッカー批評(70) (双葉社スーパームック)

サッカー批評(70) (双葉社スーパームック)

●プレッシングをベースにした攻撃的サッカー。ザッケローニは、それで名を成した監督だった。・・・にもかかわらず、ザッケローニが監督を務めた日本代表は、それが出来なかった。攻撃的サッカーを謳っていたが、プレッシングの要素は伴っていなかった。したがって、攻撃的サッカー本来の姿からはほど遠いものになっていた。概念的には非攻撃的サッカーと言っていい。(P030)
●近年の監督契約は、2年後の見直しはあるものの基本的には4年間を提供することが前提になっている。だが、その必要性は本当にあるのだろうか。筆者は、W杯アジア予選を戦う監督とW杯本大会を戦う監督を分離するやり方があってもいいと思っている。つまり、W杯アジア大会予選を突破した後、本大会はW杯をよく知り、本番で勝てる指揮者にバトンを渡すということだ。(P039)
●海外の強豪クラブは、アジアでビジネスを狙ってるの。・・・そういうビジネスを展開するのに、各クラブは日本人のサクラが必要なんです。宮市亮アーセナルの外国人助っ人なのに、どうして1試合も出られなくてもずっとクラブにいられるの? そんなことが起きているのに、実力で海外のクラブに行ったかのように、よく日本のマスコミは皆、書けるよね? ・・・バイエルンに入って試合に出なければ、世界では一流とは言わない。(P060)
ザッケローニ監督の攻撃の形は、FWは相手の最終ラインを押し下げて、2列目のサイドハーフはワイドに開く。・・・結果として間延びします。そしてスペースを作ったとしても相手のディフェンスやボランチがいるので、なかなか中に入っていけないんですよ。そこでボールを奪われてカウンターを食らうわけです。(P099)
●今のJリーグはチームが多すぎて、戦力は分散しすぎているのではないかと考えます。・・・適正なチーム数は・・・最大でも野球と同じ12。・・・衡平制と平等性みたいなことを重視しすぎるあまり、出る杭がないようにしているJ1のシステムをもう少し、杭や個性、フレキシビリティが出てくる仕組みに変えることでトップを上げていくというのでいいんじゃないかと思うんですよね。Jリーグもこれだけ歴史を築いてきたのだから、そろそろそういう多様性を入れてもいいんじゃないかと思うんです。(P109)