とんま天狗は雲の上

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目に見えない資本主義

 タイトルに惹かれて読み始めた。これまでの貨幣を中心とした経済を見直し、目に見えない利益や資本を大事にする「目に見えない資本主義」に向かおうと提唱する。現在の資本主義は五つのパラダイム転換に直面している。資本主義の未来は「弁証法」を適用することで見えてくる。弁証法には「五つの法則」がある。「螺旋的発展の法則」、「対立物の相互浸透の法則」、「否定の否定による発展の法則」。他に、「量から質への転化による発展の法則」と「矛盾の止揚による発展の法則」があるが、新たな資本主義の予見には先の「三つの法則」で足りると言う。そこから導かれる「五つのパラダイム転換」は次のとおりだ。

●第一のパラダイム転換 「操作主義経済」から「複雑系経済」へ/第二のパラダイム転換 「知識経済」から「共感経済」へ/第三のパラダイム転換 「貨幣経済」から「自発経済」へ/第四のパラダイム転換 「享受型経済」から「参加型経済」へ/第五のパラダイム転換 「無限成長経済」から「地球環境経済」へ(P25)

 ホンマかいな? 言いたいことはわかる。でも、弁証法の「五つの法則」なんて聞いたことがないぞ。文系の人にとっては当たり前の法則なんだろうか。検索すると、どうやら田坂氏が自分でまとめて整理したものらしい。うーん。そして「五つのパラダイム転換」。すごく調子がいいので思わず引き込まれてしまうが、一方ですごく雑。そして最後は、「詳しくは、拙書、『○○○』を参照していただきたい」。あれ、自著の宣伝? 巻末には主要著書がしっかり掲載されている。
 後半は「五つのパラダイム転換」が、弁証法の「螺旋的発展の法則」に沿って、日本型経営の中に既に具現化されていることを説明する。「社会貢献」と「利益追求」を統合していた日本型経営。「主客一体」を追及していた日本型経営。「有限・無常・自然」を前提としていた日本型経営。ふむふむ、わかるぞ。でも、実はヨーロッパだってそんな経営はされていたはずだし、マックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」もその種の話ではなかったっけ。
 というわけで、基本、トンデモ本という気がしないでもないが、新しい資本主義を考えるという方向性は間違っていないかもしれない。結論として日本型経営の復活を揚げるのは間違っている気がするが。

目に見えない資本主義

目に見えない資本主義

●現在の経済危機の後の世界の経済秩序を考えるとき、我々は、「自由競争の維持」と「政府規制の強化」という二つの方法だけでなく、「自己規律の促進」という第三の方法を重視しなければならない。(P67)
●経済における「直接民主主義」が実現し始めている。・・・これまでの市場経済は「間接民主主義」だった。・・・なぜなら、それは、まさに政治における「代議制」のごとく、消費者の代理として、企業が消費者のニーズを調査・分析し、そのニーズを最大公約数的に反映した商品やサービスを開発・生産・販売してきたからである。・・・しかし、インターネット革命の進展によって、そのパラダイムが変わった。/これからの時代には、「ポロシューマ型開発」や「オープンソース型サービス」などの形で、消費者が、商品やサービスの開発・生産・販売にも直接参加するようになっていく。すなわち、それは、経済における「直接民主主義」が実現していくことを意味している。(P121)
●社会において存在する価値を、例えば「貨幣」という単一の「客観的尺度」で測ることが、いったい何をもたらしたか。その行為によって、我々は、社会に存在する「多様な価値」を多様な視点で見つめる力を失ってきたのではないか。その「尺度の単純化」こそが、社会における「価値観の単純化」と「文化の単純化」をもたらしたのではないか。もとより、「多様な価値」とは、単一の尺度では測れないからこそ、「多様な価値」と呼ぶのではないか。(P140)
●経営者が、その任務として増大させなければならない「株主の利益」とは、何か。/企業が、その目的として増大させなければならない「資本」とは、何か。・・・そもそも、サブプライム問題やGMの破綻という問題は・・・「金融資本」という「目に見える資本」の増大を過剰にめざすあまり、信頼資本や評判資本、文化資本といった「目に見えない資本」を、決定的に壊してしまった過ちではなかったのか。/それらは、企業経営において、「目に見える利益」と「目に見える資本」のみを見つめ、「目に見えない利益」や「目に見えない資本」を見ようとしなかった結果、起こった過ちではなかったのか。(P181)