とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

三河の風

 外山滋比古と言えば、私の学生時代に売れっ子のエッセイストであった。もう何歳になっているんだろう? と奥付を見れば、1923年生まれとある。もう92歳になる。まだ元気だ。

 本書を読もうと思ったのは、外山氏の名前と「三河の風」というタイトルに惹かれたから。私も三河の出身だ。外山氏はどうやら西尾市寺津の出身らしい。本書で描かれる三河人は、旧幕藩側の出身として出世できない運命を甘受し、じっと耐えて、しかし反骨精神を失わず、他人と一緒にならず、ひねくれている。外山氏の人生や発想がそうであった。そして私自身もそうだ、そのとおりだと頷く。

 第4章に「オカイコさん」というタイトルのエッセイがある。オカイコさんは桑の葉を食べて真っ白い糸を吐き出す。外国礼賛して、模倣するばかりの知識人を揶揄し、自分はオカイコさんのようになりたいと言う。カサカサと音を立てて、ただひたすら桑の葉を食べるオカイコさん。たしかに三河人はそんな人生を願っている。

 もちろん三河人の誰もがそのように考えているわけではあるまい。三河人にもいろいろな人がいる。だが外山氏のような生き方には激しく共感する。私もそんなふうに生きていきたい。出世したくなどない。それでも自分を失わずに生きていきたい。それが三河の風である。 

三河の風

三河の風

 

 

三河の人間は気が弱い。しいたげられても声を立てないで、じっと我慢する。・・・自分でできる仕事を黙々とする。・・・上も下もなく、生活を切りつめて蓄財にはげむ。・・・大切なカネである。めったなことでは他人に貸したりしない。/カネを借りるのは恥ずかしいことである。自力更生が当たり前とされる。・・・借り入れの多い企業は地元で信用されない。いまや世界的企業となったトヨタ自動車も、かなり長い間、無借金経営であった。・・・三河の人は、ひそかにそれを誇りに思っている。(P3)

三河の人間は、維新を成就した勢力から見れば、警戒すべき危険分子であった。お人よしの三河人は、のんきにそれを受け流して生きる道を見出し、圧迫、弾圧を忘れたかのようであった。/個人の問題としても、若いくせに、妙に卑屈になって、小さな幸福を求めて、細々と生きるライフ・スタイルをつくり上げていたらしい。(P31)

○秀才といわれた人が、すこし赤い本を読むと、赤いことばを吐く。黒い本を読めば、吐く糸は黒である。正直がすぎる。バカ正直である。・・・オカイコさんは、食べたいものを完全に消化、黒い糞はするが、吐く糸に色が出る、などということは、考えることもできない。/だいいち、赤だ、黒だ、と言うのがおかしい。白い思想、白い知識がいいに決まっている。色のついたものは、ひととき美しく思えても、やがて色あせる。(P131)

○借りない、真似ない、下手な競争はしない。めいめいが自己責任で、最善をつくして生きるのが価値ある生活思想である。そういうことのわからないところへ、輸出してもよいのが、三河の風である。(P203)