とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

大人の思想

 「三河の風」に続いて外山滋比古の本を読んだ。前作は「三河」に、今回は「大人」というタイトルに惹かれた。内容的には1983年に刊行された「ライフワークの思想」を加筆・再構成したもので、Part1「大人の思想」は1編を除いて書き下ろしだという。心に残った部分は下記に引用したとおり、最近書き下ろした部分のことが多い。やはり時代の変化が影響しているかもしれない。特にPart3「島国考」はイギリスのパブリック・スクールに関する考察や、イギリス型思考であるコンサバティブについて考察したもので、理解はするが、ビビッドなものとして心に響いてはこない。

 Part4「フィナーレの思想」は、人生の終末を見据えての人生論といえる評論が2題だが、40歳を折り返し点として復路をゴール目指して走ってこい、というのはわかるようなわからないような。誰にでも当てはまることではないような気もするが、もう既に折り返し点を過ぎて20年近く経ってから言われても、どうしたらよいものか。

 筆者はこれをまさに私の年齢の頃に書いている。なるほどなあ。いったいいつになったら大人になることができることやら。とりあえず「忘れること・すてることの重要性」だけは実感しているのだが・・・。

 

大人の思想 (WIDE SHINSHO220)

大人の思想 (WIDE SHINSHO220)

 

 

 

○手に入れる。ためる。ふやす―というのは、半ば、本能的である。努力しなくてもそうするようになっている。・・・逆の、すてる原理の発見が求められる。・・・思い切って、すてる、ことを考えなくてはいけない。/価値あるものをすてるのは不合理であるが、カネにしても知識にしても、過剰な部分はすててやらないと、人間の進歩はない。・・・知識をうまくすてるのは、カネの喜捨ほどかんたんではないが、新しい人間になることができる。知識をすてて新しいものを発明、発見することで、人間は、進化するのである。(P22)

○相手を尊敬しているから敬語があるのではない。相手とまずい関係にならないため、へだたりをこしらえるために、遠ざけるのである。それを和の心をもってするには、相手を立てる必要がある。相手を立てるには、自分を低めるのも必要だから、謙譲語が敬語の一部になるのである。相手を尊敬しているか、どうかは問題ではない。相手と争ったりすることをさけ、平和な人間関係をつくるには、敬語の思想が不可欠である。(P32)

○分析という方法が有効であることは、科学において実証済みである。だからといって複雑な人間文化においても、有効、妥当であるとは言えない。/分析はいわば破壊である。ものを創り出すには、ほとんどまったく役に立たない。・・・分析に対して、統合の原理がなくてはならない。そして、統合は、分析ほど簡単ではないということもしっかり認めないといけない。分析は純粋を追究する方法であるが、統合は、雑種、新種を生み出すのに必要な方法である。両者を混同すれば、混乱が起こる。分析では、人間の生活という複雑なものに近づくことはできない。(P55)

○概して、われわれはものをうまく忘れることが下手である。刺激のつよすぎる生活において、これを処理しきれないで精神的不調を訴える人が急増している昨今、忘れる術を研究することは焦眉の問題でなければならない。教育においても詰め込み主義を形式的に批判するにとどまらないで、忘却による調和という積極的な考え方に転換すべきである。(P111)