とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

ちいさなかみさま

●人は、心の中にロウソクのような灯火をつくり出して生きているものだ。寂しい時、悲しい時、不安な時、多くの人は暗い闇の中をどこへ進んでいいのかわからなくなる。そんな時、暗闇の中に自分にしか見えない光を灯し、それが照らす道をゆっくりと歩んでいく。この灯火は場合によっては希望と名づけられ、場合によっては夢と名づけられ、また別の場合には勇気と名づけられる。・・・私は、この灯火をあえて「ちいさなかみさま」と呼んでいる。(P4)

 「ちいさなかみさま」。流行の言葉でいえば「深イイ話」と言えばいいだろうか。いやそれほど感動的な話ばかりではない。それこそどこにでもある話。何ということのない話も含めて、筆者が経験した、また見聞きしたエピソードを全部で23編収録している。元は「ビッグコミックスペリオール」に連載したもの。どれも実話で脚色もない。
 連載前から筆者は日常の中で気付いたエピソードをこうした習作として書いていたのではないか。そんな気がする。短く、でもちゃんとまとまっている。読みながら目頭が熱くなるものも多い。
 筆者が冒頭で書くとおり、私たちはこうした小さな出来事に励まされ、気付かされて日々を生きている。生きている勇気や希望をもらっている。確かにそれは人生の灯火、「ちいさなかみさま」かもしれない。
 新年に読むにふさわしいかもしれない。

ちいさなかみさま

ちいさなかみさま

●かつての日本でもまだ乳児の死亡率が高かった時、人々は子供を三歳から七歳ぐらいになるまで戸籍に加えず、「神の授かりもの」としていつあの世に帰ってもおかしくない存在として捉えていた。これは、インドの路上生活者も同じなのかもしれない。路上で暮らしていれば、幼い子がいつ病気で命を落とすとも限らないため、赤ん坊は死んでもまたすぐに生まれ変わると考えることで、人々は悲しみを乗り越えようとしているのではないか。(P56)
●遺族というのは、家族の死の重さを一人だけでは支えきれないことがある。そんな時、近くにいる誰かしらが分かち合わなければならないのだが、その者も死の重さに苦しむことになる。・・・他人の死の重みを背負った者を支えるのは、その人たちの周りにいる私たちだと思うからだ。そう考えれば、大勢の人が死の重さを分担しながら生きていると言えるだろう。(P261)
●患者さんって自分のことだけを考えているわけじゃないんです。むしろ、遺される家族たちに気遣って、最後に自分ができることを精一杯やろうとする」(P284)