とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

「レッテルとは何か」、「ドラ猫の『ドラ』とは何だ?」から「人生を考える」の巻。

 アジア杯に早く敗退してしまい、プレミアリーグはカップ戦のためリーグは中断。セリエAの放送はあるが、本田や長友は出場していないのでミランインテルのゲームを観る気も起こらない。ということで、どうでもいいことを調べてみた。
 まず、「レッテルを貼る」という場合の「レッテル」って何?
 クラフトエヴィング商會なら「これがお望みの『レッテル』です」と差し出してくれるのかもしれないが、インターネットで検索すると、「レッテルとはオランダ語の“letter”で、もともとは商品に貼る商品名や内容、容量などを書いた小札のことである。」(by「日本語俗語辞典」)とある。要するに「ラベル」のことかな。でもオランダ語辞典で牽くと「letter」=「文字、手紙」となっていて、それじゃ英語のletterと一緒じゃん。試しに「label」をオランダ語辞典で牽くと、「タグ、ラベル」と出てきて、やっぱり英語と同じ。うーん、なぜ「商品に貼る商品名や内容、容量などを書いた小札のこと」をletterと言ったのかがわからない。ひょっとして蘭学者の勘違いあたりから始まっているのかもしれない。奥が深い。
 ということで、最初から挫折。
 次に思いついたのは、「ドラ猫」。ドラ猫の「ドラ」とは何だ?
 Yahoo!知恵袋では「ドラ猫などの言葉に使われる『ドラ』は、打楽器の『銅鑼(どら)』から来たものです。銅鑼は、仏事や船の出帆のときに打って鳴らされますが、この銅鑼を『鐘(かね)』になぞらえ、さらにその『鐘』を『金(かね)』になぞらえて、『鐘を突く』→『金を尽く』となり、金を使い果たすことにかけたものなのです。なので、どら息子ともいうそうです。」とあり、なるほどと思ったが、「語源由来辞典」の「どら息子」の項では、「『どら』は、なまけることや放蕩することを表す『のら』が強調された語で、『のら』はなまける意味の『のらくら』の『のら』と考えられる」とある。さらに読み進めると、「放蕩息子が遊郭でお金を使い果たすことから、お金を使い果たす意味の『金を尽く』と、銅鑼を鳴らす意味の「鐘を突く」をかけ、遊郭では「どら息子」と言うようになったというものだが、そのような事実はない。」と手厳しい。結局、語源由来辞典では、「ドラ=銅鑼」説は退けている。なるほど、難しい。
 では次は・・・と思ったが、思いつかないので今日のところはこれで終了。結局、「レッテル」も「ドラ猫」も唯一の絶対正しい回答にはたどり着けずに終わってしまった。少年であればこれをきっかけに言語学者の道を歩むということもあるかもしれないが、60歳を間近にして今さらそんな気もない。次に疑問に思った言葉が浮かんだら、また調べてみよう。でも、「『疑問には必ず答えがある』と思うのは間違い」という結論に達したところがおじさんらしくていいのではないか。そう、人生、正解なんてないのよ、これホント。