とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

時代が動いた瞬間

 今朝、イスラム国に拘束されていたジャーナリストの後藤氏が殺害されたという動画が公開された。早朝から菅官房長官そして安倍首相が会見をした。安倍首相は型どおり、イスラム国への強い非難と意志を示し、国際社会との連携強化を訴えた。全面対決だ。
 日本はこれまで中東圏では、クェート紛争以来、欧米側の身を置きつつも、文化的には「欧米=キリスト教」対「中東=イスラム教」という宗教対立から距離を置き、中東の国々にいわゆる親日派と言われる人も多くいるなど、どっちつかずの曖昧で中間的な位置にいたように思う。
 しかし今回の、というのは11月に後藤氏が拘束されたことを政府が知った時から、または昨夏、湯川氏が拘束された時からの日本政府の対応は、これまでのイスラム圏の人々の日本に対する気持ちを大きく変えたのではないか。そしてイスラム国の今回の殺害とメッセージはそのことを強く世界に訴えた。日本にすれば、イスラム国により欧米側に強く押し出されたという感じかもしれないが、それを安倍首相は「当然だ」と強い意志で受け止めた。
 そして今後、これを契機にテロ対策と言われる軍事強化が始まるのではないか。これまで日本の軍事化は中国・韓国との対立から始まるのかと思っていたが、どうやらそうではない。今回の事件が次の日本の時代を作るきっかけになる。時代は経済の時代から政治や思想の時代へと変わっていくようだ。
 東日本大震災福島原発事故で日本の時代が変わると多くの人が言ったし、私もそう思った。だが月日が過ぎるにしたがい、それを覆い隠すような時代の動きがあり、原発事故前に戻るかのような気がしていた。しかしそうではなかった。あの災害と事故で時代は変わっていたのだ。そして今回の事件でさらに時代が動いた。
 別の表現で言えば、災害と事故で時代の向きが変わり、今回の事件でその方向に時代が一歩を踏み出した。そんな気がする。その一歩が正しい一歩かどうか。それはどうかわからない。時代が要請する一歩だが、どんな姿勢でその方向に向かうのかは色々な考えがあるだろう。できれば背中に風を感じていたい。暖かい風であればいいのだけれど。