とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

「女性は共感、男性は解決」というのは必ずしも当たらないんじゃないか

 「女と男の違いに関する偏見について:Everyone says I love you」で、「女性は共感、男性は解決」という俗説は偏見だと訴えていた。冒頭にヤングコミックに掲載されたというマンガが載っていて、これが多くのリツイートを得て評判なのだという。いわゆるみんなが共感したということですね。僕もブログ主とほとんど同じ反応。最初これを読んだときには「面白い!」と思い、でもよくよく自分に振り返って考えてみると「そうではないかも」と思い出した。ブログ主はしっかり最後まで考察し、性差(セックス)とジェンダーの違い、そしてDNAレベルでの主張に対する疑義などをブログ上で展開している。そのとおりだと思うので、興味のある方は冒頭のブログを読んでください。
 そのブログでも最後はブログ主の個人的な体験談として法律相談における男女差などないということを主張されているので、私もこの記事をきっかけに思い出した個人的な経験を書いておこうと思う。
 といっても、妻との痴話喧嘩の話です。わが家は比較的家庭内での会話が多いと思うが、妻と話をしていて夫婦喧嘩になる内容にはパターンがあるように思う。一つは意見の相違がある場合。たとえばパソコンなど大きな買物をする場合には、事前に申し出て感触を探るようにするが、若いうちは「そんなのいらないんじゃないか」と一方的な意見を口にしてしまうことも多かった。最近は相手の言い分を聞いて疑問点を確認し「しょうがないか」で落ち着く。意見の相違で喧嘩することは少なくなった。これは今回のテーマに即せば、お互い解決型の会話を望み、決着するパターンだ。
 もう一つは、困りごとを相談する場合。たとえば何か困りごとを話した時に、「こうすればいいのではないか」と相手方が解決策を提案し、相談した側が「それができれば困ってなんかいない。できないから困っているんだ」と怒りモードに入ってしまう。これは典型的な解決型と共感型のバッティングだ。だが、これが必ずしも常に妻が相談を持ちかけ、私が解決策を提案するというわけではない。というか、うちは専業主婦なので、仕事上の愚痴を言うのはもっぱら私の方だ。そして最初は解決策でもあればと思って話し始めても、最終的には実は私自身が共感を求めていたんだと思うことがしばしばある。結局、仕事のことを妻に聞いても最適な答えが出ることは少ない。そんなことは最初からわかっている。結局これは共感を求めているのだ。だから最後は、「ただ、うんうんと肯いてくれればいいんだ」と言って喧嘩モードに入っていくことが多い。
 ブログで引用されているマンガでは、女性がパソコンの操作について聞き、男性が答えている。これは男性のほうがパソコンについて詳しいという前提があるからだろう。これが女性がIT企業の上司という関係だったらどうか。たとえ男性でもマンガのように解決策を口にするなんてことは恐れ多くてできないんじゃないか。例えば、女友達の男性関係について相談されたとしたらどうか。その際に女友達の彼の側を弁護する男性は少ないだろう。「それは男性が悪い」と言うのではないか。まさに共感型の対応だ。
 もちろん成長する過程で、自分の意見を我慢させられることが多かった女性は依存性が高くなっているかもしれないし、わがまま一杯に育った男性は簡単には自分の過ちを認めないタイプの人が多いかもしれない。しかしそれも人それぞれだし、それこそそれはジェンダーであって性差ではない。
 特に最近は社会のタガがきつくなって、少しの不正や他人と違う言動に対して眉をひそめられることが多くなっているように感じる。そうした社会ではみんな他人の言動を気にして、他人の共感・賛意を得たがっている。男性・女性の別なく。これからは共感型社会になっていくだろう。そんな時に「男は解決型だ」なんて思い込んでいるときっとひどい目に会う。実際は、解決型と共感型のいずれの会話をも適宜に使い分けられる能力をこそ求められているのだ。