とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

サポーターをめぐる冒険

 サッカー本大賞2015の対象に選ばれた。「Jリーグを初観戦した結果、思わぬことになった」。2013年10月5日、FC東京鹿島アントラーズのゲームを初観戦してから、2014年1月1日の天皇杯決勝戦まで3ヶ月間の観戦記録を綴っている。ブログ「はとのす」に初観戦の記事を投稿したら、圧倒的なアクセス数が記録された。それから多くのサポーターたちがぜひうちのチームも、うちのスタジアムもと誘いを受け、毎週のように観戦を続ける。そしていつしかFC東京の熱烈なサポーターになっていた。真摯な気持ちを綴っているから共感を呼んだ、ということか。
 でも実は第1章を読んで、サッカーサポーターに迎合するような書き振りに違和感を持った。ちょっと感動しすぎではないか。サッカーをプレーするというのに選手のことを知らない、プレーの意味がわからないなんて本当だろうか。少し作為的な感じがする。しかもそのブログ記事が当たったおかげで、各チームのサポーターから招待が届き、仙台まで一緒に車に乗せてもらったり、チケットをもらったりする。わからないではないけど、ちょっとずるい。それで最後は「自分はやはり東京人で、だからFC東京のサポーターになる」なんて。大学を長く留年し、大学院まで進んで、そして挙句の果てに作家になりたいと言う。この人、大丈夫だろうか。しかも東大卒。
 文章はそれなりに上手いが、どこかサポーターが利用されているような気がする。現在、「全国のサポーターを可視化する」という企画を進めているという。何だかな。そういう仕事は宇都宮徹壱あたりにやってもらった方がいい。筆者自身のスタンスがサポーター目線にあるという辺りが何かふわふわして定まらない気がする。そんな筆者が書いた本が売れるかな。
 「Jリーグファンは寂しかったし、悲しかったのではないか」という言葉がある。Jリーグが、そしてサポーター自身がきちんと評価してもらっていないという気持ち。それを代弁するというのだろうか。でも多分そんなにわかサポーターからみる視点は底が知れている。まあ、がんばってくれ。だが、奥さんと子供を悲しませるような真似だけはするなよ。サポーターを初めて3ヶ月だからみんな大事にしてくれた。興味も抱いた。でも既にサポーターになって2年近くが経過する。筆者と他のサポーターを分けるものはいよいよ無くなってきた。それでも作家として売れるとしたら、文章力だけではない。サポーター初心者ではないアイデンティティが必要になってくる。次はどんな作品を書くのか。2冊目が非常に大事だ。ビギナーズラックでなければいいのだけれど。

サポーターをめぐる冒険 Jリーグを初観戦した結果、思わぬことになった

サポーターをめぐる冒険 Jリーグを初観戦した結果、思わぬことになった

●スポーツ観戦の方法として、少し距離を置いて分析的に楽しむ方法もあるだろう。しかし、サポーターの楽しみ方は逆なのだ。/筋書きのないドラマ、運命に操られる理不尽なストーリーの中に入り込んで、心から愛するチームを全力で支援することだ。だから、これはスポーツ観戦というのとは少し違うのかもしれない。どちらかというと、実際にサッカー選手となって一緒にゴールを目指している感覚の方が近い。(P62)
Jリーグのサポーター達は、自分達に対する理解のなさにずっと苦しんできたのだろう。スタジアムに一緒に来てくれたらわかるのに、みんな来てくれない。それどころか、切り取られたネガティブな情報だけ見て、悪いイメージを募らせているのだ。・・・サポーターは、選手達のことを「うちの子」と言うことがある。強い感情を込めて、可愛がっているのだ。/結果が出ない時は苦しみを分かち合い、怪我をしてしまった時はもだえるように悲しみ、活躍した時には誇らしさで一杯になる。(P76)
●どのポジションが機能していないとか、誰の判断が悪いとか、そういう分析的な観戦はゴール裏でやることではない。それならば、メインスタンドやバックスタンドで観戦するべきだ。それどころか、テレビ観戦した方が、もっともらしく批評できる。/もちろん、試合を分析するのは勝手だが、ゴール裏ではいちいち声に出すべきではないのではないか。(P131)
●やはりサッカー観戦には観客の熱気が必要なのだ。サポーターの応援が必要なのだ。スタジアムでの応援は、選手を鼓舞するための応援であると同時に、我々観客にサッカーの見方を教えてくれる「指導者」の役割も果たす。・・・あれは1つの「視点」を示したもので、応援があるからこそサッカー観戦は容易なものになるのだ。(P144)
●東京駅は、街の象徴の1つではあるが、こんなところに住んでいる人はいない。東京の住人は、中心地から少し外れたところにある小さな街に帰っていくのだ。東京とは、小さな街の集合体であり、東京駅は、俺たちがそれぞれ住んでいる場所を繋いでいるだけだ。大きすぎて全体像がよくわからない街だが、ぼくらにとっては一番馴染みがある街であり、一番好きな街だ。そして、東京が好きという気持ちが自然に表明できる場所がFC東京の観客席だった。(P215)