とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

金利のない世界 縮小経済化での金融政策とは?

 住宅ローンの繰上償還を申し込んだら、期日と振込口座が指定されてきた。期日まで2週間ほどあるが、忘れないうちにすぐ振り込もうと思って、「いや待てよ。ギリギリで振り込んだ方が少しでも手元の預金金利がつくかな」と考えた。でもよくよく考えてみれば、その間に付く利息なんて数円もない。やはり早めに振り込んでおこう。

 それで考えた。どうして預金を預けておくと金利が付くのだろう。当たり前と思っているが、自分からすれば多額の現金をタンス預金しておくよりは銀行に預けた方が安全と思っている。銀行破綻のリスクと自宅で盗難に遭うリスクを比較して、かつ利息ももらえるならやはり預金をする。盗難防止というメリットを得て、かつ利息ももらえる。何か悪いみたい。

 もちろん銀行は預金者から集めた大量のカネを会社等へ貸して利息を得ており、銀行にしてみれば預金金利は、預金者からのカネを運用して儲けたことのおすそ分けといった感じだろうか。借りる会社にしてみれば、借入利息は一時的に大金を貸してもらったお礼と捉えることができる。

 ところが最近は貸付先が少なく、国債購入や日銀へ預けている金も少なくない。日銀からすれば本当は市中の会社に貸し出してほしいカネを余っているからと日銀で預かって、なんで利息を払わなければいけないかと思う。だから手数料を取ろうというのが今回のマイナス金利の意味だろうか。

 預金者からカネを集めてもそれを日銀へ預ければまた手数料が取られるとなれば当然、もうこれ以上は預かりませんとなるだろう。それでも預かってくれという人からは手数料をいただきますとなっても不思議ではない。それで預かったカネが余るようなら、「おカネを借りてくれる人には金利はもっと低くしてもいいです、何なら金利ゼロでもいいですよ。お礼はいりません。その代わりお金を預かるときには手数料をいただきます」なんてなるかもしれない。それでも借りてくれる人がいなければ、仕方ない。手数料を払ってでも日銀へ預ける。そうして国民から手数料を取り、そのカネを日銀に預けて手数料を払い、日銀は国債を購入して政府は借金を増やし、公共事業を行ってカネをばら撒く。そのカネはどこへ?

 もちろんこれは極端な妄想だし、日銀も政府も、まさか銀行が預金手数料を取るなんてことは考えていないだろうけど、人口が減少する社会の中で、経済がいかに成長していくか、本当に成長できるのかと考えると、必ずしもあり得ない話ではないような気がする。金融政策において成長戦略は絶対的な命題だが、一方で縮小戦略も考えておく必要があるのではないか。久しぶりにまとまったおカネを扱ったら、そんな妄想を抱いてしまった。