とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

老後の生活を考える。高齢者の本望とは?

 先週末、毎週土曜日の朝に放送している「サワコの朝」に中尾ミエが登場し、明るく元気な老後の過ごし方について話をしていた。朝食を作りながらの視聴だったのでしっかりとは観ていられなかったが、老後を明るく溌剌と過ごすために高齢者仲間と一緒にミュージカル「ザ・デイサービス・ショウ」をプロデュースし、全国を公演して回っているという。「デイサービスへ行くと童謡や小学唱歌を歌わされるけど、私たちと同年代の高齢者はロカビリーやジャズなどを聴いて育ってきた。」という言葉には「確かに」と頷かされる。

 ステージで高齢者の誰かがパタッと倒れる。まさにそれこそ最高の幸せ、本望だ。高齢者を子ども扱いせず最後まで働いてもらう、働き続けられる社会にしていく。これこそが本当の意味で高齢者がいきいきと暮らせる社会だろうと思う。

 それでふと自分のことを考える。もうすぐ定年だ。今はまだ「後何日で定年だ。早く仕事から逃れたい」という気持ちの方が強いが、実際に定年となれば毎日が週末となる。何時だったか、ある高齢者の方が、「定年後は毎日日曜日というのは間違いだ。毎日土曜日の気分。なぜなら日曜日は翌日出勤だが、土曜日は翌日も休日」と言っていた。なるほど。

 今は土曜日に買物をして、日曜日は休養という週末が多い。若しくは土曜日に旅行やレジャーを入れて、日曜日に買物などの雑用を済ませる。しかし経済的に限りがあるとなれば、毎日土曜日で買物やレジャーを楽しむわけにも行かず、残りの6日間はずっと休養ということになりかねない。結局、老後はカネを使わずに、できれば収入が得られるような毎日を送る必要がある。その点で、中尾ミエは幸せだ。

 でも一般人にはそんな恰好の仕事はない。会社はとりあえず65歳までは給与は下がるにしろ、希望すれば継続勤務(再雇用)はできるようになった。今の部署・今の職階での継続勤務は嫌だが、全く別の仕事ならやる気も出るだろうか。それにしてもそれも65歳までだ。その後はどうしよう。

 正月に、温泉付き別荘へ移住した家族「悠々自適の定年後生活」を訪問したが、あれは十分な退職金と蓄えがあってのことだ。同僚が「退職後はスーパーのカート集めのバイトでもして暮らしたい」と言っていたが、そんな仕事があるなら大歓迎だ。最寄り駅の自転車置き場の管理人もほぼ全員が高齢者だ。こんな仕事もいいな。若い頃からただ黙々と軽作業をすることは嫌いではなかった。大学時代、設計製図の授業で先生が「おまえらドラフトマンになりたいのか」と言われ、「そんな仕事があるなら、なりたい」と思った。私や同僚のように考える高齢者は多くないのだろうか。近い将来、年金だけでは食べていけなくなれば、きっとどうしてもそんな軽作業で生計を立てたいと考える高齢者があふれるはずだ。

 働きたい高齢者を雇用して回っていく仕事はないだろうか。高齢社会ではそうした企業が求められる。今は一つ二つの企業が先進的な取り組みとして注目を集めているが、高齢者を雇用することが企業として標準となる。そんな時代がやってくるのかもしれない。いや今でも若い社員がやっている仕事で、自分にやらせればもっと早くできると思う仕事もある。適材適所でうまくミックスすれば定年制を廃止してもやれるんじゃないか。

 定年後の生活を考えるはずが、定年制の廃止になってしまった。結局僕らは死ぬまで働き続けることが求められる。そんな時代になりつつあるのだろう。老後の年金による悠々自適生活なんて一刻の夢だったのかもしれない。どんな仕事にもやりがいを見出す。そんな高齢者になることを求められている。そして仕事中にぽっくり死ぬ。果たして僕らはそれを本望と言えるだろうか。