とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

フットボール批評issue10

 特集は「10年後に消えるクラブ 100年後も残るクラブ」。だが巻頭言と最初に掲載された記事は「エアインタビューという悪しき慣習について」と「捏造記事を許すな」。「欧州サッカー批評 special issue11」に掲載されたルイス・エンリケの記事がエアインタビュー(捏造記事)だと告発するものだが、「フットボール批評」の読者が今さら「サッカー批評」を読んでいるとも思えない。「サッカー批評」を発行する双葉社から編集グループ「カンゼン」が独立して発行している「フットボール批評」だが、独立時のごたごたなどはそれほど酷いものだったのか。何があったのだろうかと却って気になる。

 その次の、佐藤寿人に対するインタビュー記事はいいとして、次のボスマン判決に関する記事もわかりにくい。ボスマン判決はクラブ愛に影響を与えたか。確かにそういう面はあるのだろうが。

 その次の「古今東西、勢者必衰のサイクル」はいかにも後藤健生らしい記事だが、その後は各クラブを取材する記事が続く。FC東京、東京武蔵野シティFC、ジェフ千葉名古屋グランパス、北海道コンサドーレ札幌、ファジアーノ岡山大分トリニータFC琉球、ブリオベッカ浦安。どれも興味深い。明るい方ではファジアーノやブリオベッカ、暗い方ではグランパストリニータ。特にトリニータの惨状は「10年後に消えるクラブ」の代表かと思ってしまう。グランパスの危機感のなさも相変わらずだが。

 それで結局一番面白いのはまたも小田嶋隆のコラム「フットボール星人」だったりする。うーん、フットボール批評、大丈夫か。正直、毎号購読するのは止めようかなと思う今日この頃。読みたいサッカー本って何だろう。サッカー本大賞でも読みながら考えてみようか。

 

フットボール批評issue10

フットボール批評issue10

 

 

○佐藤には、サッカーがミスの上に成り立つものだという考えがある。/「ミスが生まれなければ0対0で試合は終了する。・・・すごいシュートを放ってもGKが予測をしていて止めたら点数が入らない。自分たちで『どうミスを誘発するか』を意図的に作り出すかを考えると、ボールのないところでの動きがとても重要になります」(P012)

○ナショナルカンパニーがついている限り、潰れることはないであろうが、フィールド上の「これが名古屋」というスタイルの確立と地域における「名古屋のクラブ」というアイデンティティの確保はもはや急務である。スローガンも今更「愛されたいクラブ」という受動ではなく「地域を愛すクラブ」という積極性が欲しい。(P055)

○2014年にクラブは創立20周年記念誌を制作したが、内容を見て驚いた人々は少なくなかった。・・・記念誌はあからさまに2010年以降の記事や選手に比重を置いて製作されていた。・・・溝畑時代を批判するのは良い、しかし、無かったことにするのは歴史への冒涜である。・・・社長は誰かを問わず22年間のすべてが大分トリニータの歴史なのだという認識に到達しないかぎり、次の段階で、また失敗を繰り返すだろう。(P077)

○パイがある程度決まっているのにチーム数が増えれば、当然個別のチームの収益は減り、チームはまだ働けるベテランたちを「年棒が高い」という理由で切らなければならなくなる。・・・「月5万」という報酬でJリーグの底辺であえぐ選手を作ったのも、まさに拙速にJ3を作らせた「Jリーグのやみくもな拡大路線」であった。若手選手とベテラン選手、この二者を「Jリーグのやみくもな拡大路線」は同時に追い詰めているのだ。(P105)

○異民族が隣り合って暮らしていたり、歴然たる階級格差が介在していたりする国々では、サッカーは、・・・「ともすると敵同士になりかねない隣人をひとつのチームとして機能させるための社会的な装置」として機能しているわけで、だとすれば、チームスピリットは、サッカーをサッカーたらしめるための前提なのである。/本当の友達とじゃないと良いサッカーができないというのは、たぶん、サッカー選手として未熟なのだと思う。(P116)