とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

フットボール批評issue11

 クライフが亡くなった。サッカー世界を変えたクライフを特集した記事が何といっても一番読ませる。トータルフットボールとは何だったのか。クライフの目指したサッカーとは何だったのか。西部謙司の書いた記事はそうした問いにしっかりと答えている。

 特集は「サポーターを科学する!」。サポーターのジャンプ回数などを調査する記事は間抜けな感じがしないではないが、スタジアム警備員を取り上げた海江田哲朗の記事は読ませる。FC岐阜永久欠番13を巡る物語も、この記事を読むまで知らなかった。息子が死んでなお、サポーターであり続ける両親たちの心根を追う。

 一方、前週からの話題である「エアインタビュー」については、取り上げる意義はわかるが、対談記事では物足りない。沢木耕太郎のエッセイから、スポーツ記事では選手のイメージで勝手に言葉を作ってしまうという指摘は面白いけど。確かに「クライフもクライフらしくしゃべるようになるんじゃないですか。本当のクライフより。」(P006)

 そしてW杯予選は、アジア地区プレーオフの末、北中米予選4位チームとのプレーオフまでもつれ込む可能性を指摘する佐山氏の指摘。確かにそうだ。日本はいつからW杯出場が当たり前の国になってしまったんだろう。ジェフ・サポーターの綱本将也氏による「futur game」の割合という指摘も興味深い。「その試合における最後のゴールが対戦相手ではなかった試合」の割合。これが意外に順位に影響しているようだから面白い。

フットボール批評issue11

フットボール批評issue11

 

 

○トータルフットボールとは、特殊なフォーメーションや組織ではなく、個々の技術と判断力をコンセプトで包んだものといえるかもしれない。つまり、ボールコントロールやポジショニングについての個人技術と戦術を高め、選手1人1人が独立したフットボーラーになること、そして独立したフットボーラーの集団を束ねるコンセプトとして、従来のポジションや役割に縛られない攻守を指向した。簡単にいえば、アヤックスの選手たちはほぼ全員がMFとしてプレーできた。・・・だからDFはどんどん攻撃に出たし、MFやFEにその穴埋めが可能だった。結果的に従来には見られないポジション流動性が生まれたと考えられる。(P020)

○「本物のリーダーは、人が間違いを犯すものだと仮定している」(クライフ)/リスクへの恐れに対して「そのときは拍手すればいい」と言い捨てた。構っちゃいられないのだ、そんなことは。結局、クライフが作り上げたのは勝つチームというより、勝つために洗練を極めた芸術作品だった。フットボールで勝利のための合理性を極めると、負けを許容するという矛盾した場所へたどり着く。勝利に邁進した結果、敗北を忘れてしまった。どうでもいいとはいえないが、大したことではなくなった。(P023)

○周也にとっても私たち家族にとってもFC岐阜というチームが居場所であり、そこでプロサッカー選手を夢見て、サッカーに打ち込んでいた周也が生きた証を残したいという思いは、とても強くあります。・・・将来周也が活躍したであろうチームをとにかく存続させないと、応援しないと、なくしては絶対いけないという思いがあって行っているんです。(P073)

○仮に日本がB組3位に終わると、4次予選(アジア地区プレーオフ)でのホーム&アウェイ方式が待っている。・・・CONCACAF・5次予選4位対AFC・4次予選の勝者-この2試合に日本代表が出場するような情勢になれば、今から1年半もの長丁場になる。/反対に、世界最速で出場を決めたところでその先何もよいことがなかったのが、ジーコ時代の2006年ドイツ大会である。・・・事実上の5次予選まであることとFIFAランキング57位の現実に誰も思いを寄せない。(P110)