とんま天狗は雲の上

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構造スリットには耐震性はない

 昨日の中日新聞朝刊一面に「熊本地震 マンション損傷 構造スリット有無で明暗」という記事が掲載されていた。所詮、地方紙なので全国的な実害はないだろうが、記者の建築技術に対する知識のなさと誤解が、場合によっては悪質リフォーム業者の登場を生み出す恐れもあるので、老婆心ながらここに間違いを正しておく。

 記事は「熊本市内で・・・耐震用の『構造スリット』を取り入れていない複数のマンションに、大きな損傷が生じたことがわかった」というリード文の後、「損傷が目立ったあるマンションの建設会社は取材に・・・『スリットがあれば、資産価値や住民の生活に関わる壁も守ることができたかもしれない』と話した。」といった取材記事を載せ、構造スリットを設置することがいかに耐震性向上に有効かということを訴える内容となっている。

 まずはっきり言っておかねばならないことは、「構造スリットには耐震性を高める機能はない」ということだ。

 そもそも構造スリットは、構造計算上、壁のつかない柱として設計した柱に、意匠上または平面計画上、壁が取り付く場合に、壁と柱を構造的に切り離すために設置するもので、それ自体が構造的な耐力を負担するものではない。実際に、柱と壁の間に隙間(スリット)を作るが、そのままでは雨水などが侵入してしまうため、隙間の部分にはポリスチレンフォーム等の弾力性のある材料を置き、外壁部分にはシーリング材(防水材)を充填する。

 一昔前は、柱に対して壁が十分薄ければ、多少の壁が付いていても、壁がないものと仮定して構造計算をすることが多かった。しかし、十勝沖地震などで腰壁・垂れ壁がついた柱にせん断破壊というタイプの損傷が集中したことから、柱の帯筋を密に配置するように基準が改められ、さらに宮城県沖地震等を経て、新耐震基準が導入されるとともに、腰壁・垂れ壁・袖壁等の雑壁についてもその構造的な影響を構造計算時にきちんと評価して計算することが求められるようになった。

 しかし、建物に取り付く壁は非常に多く、かつ多様であり、これらを精密に評価することは困難なため、壁がないと仮定して計算をしても問題がないよう、構造スリットという手法が多く取り入れられるようになり、現在に至っている。だから、構造スリットを設置すると耐震性が向上するという考えは全くの誤りで、地震時に建物が構造計算の結果に近い挙動をするように設置しているに過ぎない。

 中日新聞がこの取材をするきっかけとして、今年3月に名古屋市内のマンションで構造スリットの未施工が見つかった旨の記事を自ら報じている。その時は単なる手抜き工事の指摘に過ぎなかったが、今回の記事は、構造スリットを設置しておけばマンションの損傷も防げたという趣旨に読める。しかしそれは大きな間違いだ。

 この記事を読んだ読者が「構造スリットを設置すれば耐震性が向上する」と勘違いする恐れがあり、そこに付け込んで構造スリットの設置を勧める悪質リフォーム業者等を生み出す恐れがある。また、構造スリットがないものとして構造計算を行い、また実際に構造スリットが設置されていない建築物に、後からむやみに構造スリットを設置することは、却って構造強度を弱めてしまう可能性が大きい。あくまで構造計算に即して構造スリットは設置する必要があるし、安易に設置すべきものでもない。

 記事には、柱とは玄関ドアを挟んで直接には接していない壁が損壊している写真が「構造スリットがないマンションで損壊した壁」として掲載されていたが、建築の専門家に言わせれば「想定どおりの損壊だ」と言うであろう。この損壊を防ぐためには、上部の梁と壁の間に構造スリットを設置する必要があるが、そこまで行っている事例は現在建設されている建物でもごく少数だ。そしてこうした損傷に対しては、構造スリットよりも先に耐震ドアを導入することが有効だ。

 震災後に修繕が可能でかつ構造上問題がない雑壁の損傷に対してどこまで対応するかは建築物の構造設計上の課題の一つだが、これは今回の熊本地震報道の初期に、エキスパンション・ジョイントが話題となったことに通じるものがある。つまり建築界の常識が一般の常識にはなっていないという事実である。それは仕方がない。この記事を執筆した記者もたぶん建築の技術的な知識が乏しい中で、この記事を執筆したのだろう。

 記事には複数の専門家(建設会社、管理組合連合会事務局長、耐震スリットに詳しい一級建築士)のコメントが載せられている。しかし、今回の地震を契機に、自分自身の研究・活動のアピールや受注の拡大を図ろうと考える専門家も少なくない。またそうしたバイアスを感じる記事が多いことも事実だ。少なくとも今回のような技術的な内容の記事を執筆・掲載する場合には、専門的に誤りがないか、十分、注意しチェックすることが必要ではないか。