とんま天狗は雲の上

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拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々

 国会でも取り上げられ、話題となった。それで興味を持って読んでみた。タイトルはエキセントリックだが、内容は実に明確である。筆者の弟である蓮池薫氏が突然失踪した日の状況から、「家族会」での活動、拉致被害者5名の一時帰国と北朝鮮へ戻らないという決断。そして子供たちの帰国。その後、拉致被害者問題が一向に進展しない中で、「家族会」「救う会」の変節、口だけで全く動く気配のない政治家たち。そしてマスコミ。

 彼らは結局、拉致被害者を利用しているだけで、実は拉致問題が解決してほしくないと思っているのかもしれない。これらの経験や思いを素直に振り返り、自分自身の変化と過去への反省も踏まえながら、真に拉致問題を解決するための方策を問う。

 拉致問題を巡って実に多くの人々が登場した。小泉元首相を始め、安倍首相、中山参与などの政治家や官僚。彼らの誰も真に拉致問題を解決しようとするのではなく、その場限りの成果と自己利益を求めた。マスコミも同様。そして拉致被害者に対して生活保護者も同然に接する行政。救う会も右翼的な自己満足と自己利益を求めた。そしてさまざまな外部からの干渉の前で変質し、分離していく拉致被害者家族。

 蓮池透氏は家族会から追われるように退会した。そしてそこから距離を置いて拉致問題や遺骨問題、残留日本人問題など、日朝間に横たわる様々な問題を考えるとき、改めて日本政府や政治家、そして拉致問題に関わる様々な人々に対する疑念や怒りがこみあげてきた。そしてそれをそのまま書き連ねた。そんな内容の本だ。素直にその心情を吐露している。そこに嘘はない。そのことがよく伝わってくる本である。

 

 

○いままで拉致問題は、これでもかというほど政治的に利用されてきた。その典型例は、実は安倍首相によるものなのである。/まず、北朝鮮を悪として偏狭なナショナリズムを盛り上げた。そして右翼的な思考を持つ人々から支持を得てきた。/アジアの「加害国」であり続けた日本の歴史のなかで、唯一「被害国」と主張できるのが拉致問題。ほかの多くの政治家たちも、その立場を利用してきた。しかし、そうした「愛国者」は、果たして本当に拉致問題が解決したほうがいいと考えているのだろうか?(P53)

拉致問題の「解決」をどのように定義すればいいのか。・・・政府認定拉致被害者17名のうち5名が帰国したのだから、残りの12名が帰国すれば解決なのか。それとも安否が確認されればよいのか。または、特定失踪者といわれる900名近くの方々にまで明確な調査を義務付けるのか。/それには、理性的かつ現実的な判断が求められる。・・・「解決」の定義を明確にし、家族や国民に周知する。そして、その定義を北朝鮮に提示し同意を得ることが必須である。(P56)

○「日本政府が苦慮したのは、5人を再び北朝鮮に戻すか否か、ということだった」と記事の冒頭近くに記されているが、冗談ではない。苦慮したのは、弟のほうだ。日本政府が苦慮するくらいなら、そもそも「一時帰国」との約束を北朝鮮としなければよかっただけの話である。/子どもたちを人質にとられながら、両親と24年ぶりの再会を果たし、「日本に留まって親を取るか、北朝鮮へ戻って子を取るか」という苦渋の決断を迫られた弟・・・「北朝鮮に戻れば、5人が再び日本に来られる保証はなかった」とある。だが、我々が日本政府から受けた説明は、「今回は『一時帰国』。次回は全員揃って帰ってくる。そういう約束が北朝鮮とできている」というもの。(P128)

○自分の胸に手を当てて考えてみた。それまで、自分の行っていることは全部正しいと考えていた。自分自身のことを振り返る余裕などなかった。とりわけ2002年の小泉訪朝から、私は勘違いしていたと思う。まさにヒーロー気分で突っ走っていたに過ぎない。いま考えると非常に恥ずかしい。(P223)

○いかなる民族が相手であろうと、対話と交渉なくして和解はない。北朝鮮の行動に対する「見返り」は当然、必要であろう。彼らも「合法的に金が取れるのは日本からだけだ」と、考えているのは明らかだ。そうであるならば、日朝間に横たわる「過去の清算」の問題を考慮せずして、真の拉致問題の解決はないはずだ。/北朝鮮から「百点満点」の回答を待ち続け、やみくもに時間だけを経過させるのか。そうではない選択肢をとるのか。日本政府の決断の時期はとっくに過ぎている。(P282)