とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

キリスト教の謎

 1から13まで、数字にちなんでキリスト教に内在する様々な事柄を考察していく。1はもちろん「一神教」について、13は「13日の金曜日」について。しかし必ずしも数字に捉われることなく、そこから考察は幅広く展開する。善悪二元論から始まる2の章では、キリスト教内での様々な対立を取り上げるし3の三位一体でもそれを巡る内部対立や異端と正統性について話は巡る。

 また所々に入るコラムも楽しい。第4章の後ろに添えられたコラムには、フランス・ナントの教会のキマイラにガンダムが付けられているという。アメリカではダーズベーダーも教会のガルグイユとして活躍する。

 そして本書の特徴は、カトリック教会における様々な秘跡や聖遺物などが多く紹介されている点にある。そして8章では聖母マリアが信仰の対象となっていく過程を説明する。やはりカトリックは中世以降の人間の心情に寄り添って成立してきたのだ。EU旗に12の星が描かれている理由、ヴァージン諸島などの命名の理由も1万1千人の処女殉教者への信仰から来ている。

 こうしたカトリック的知識に加えて神学的な信仰と愛と希望などについて深く考察する。イエスの壮絶な死は復活をより劇的に演出するためのものではなく、人の弱さと死を神も共に苦しむことで、人と神が繋がったと説明する。キリスト教の奥深さはこうした多くの解釈や考察を許容し促すところにあるのだろう。ただ受け入れるのではない。そこにキリスト教の、さらに言えばカトリックの強さがある。

 

キリスト教の謎 - 奇跡を数字から読み解く
 

 

○エジプトでファラオと対立したシャスー族がヤハウェの加護のもとにエジプトの支配から逃れてイスラエルにやってきたとしたら、当時はレバントのすべての地域はエジプトの脅威にさらされていたから、効験のありそうなヤハウェはユダヤの民にも注目されただろう。エルサレムを首都にして王国を打ち立てようとしていたサウルやダビデが権威の後ろ盾として採用したとも考えられる。政治と神学は切り離して考えられない。(P18)

○「信仰」も「愛」も自分の足で歩いて行ける。でも「希望」は一人では歩けない。神の恵みが必要だ。「絶望」の誘惑が彼女を狙っている。「希望」は「信仰」と「愛」の真ん中で手をつないで何とか歩いている。人々には両側の女性しか見えていない。でも、本当は、二人の手を取って歩かせているのは真ん中にいる小さな「希望」なのだ。「希望」が共にいるから、「信仰」も「愛」も今この時だけでなく来るべきものを見て、永遠の時を進む。(P50)

○賜物よりも大切なものが何であるかというと、パウロは「愛」だと答える。・・・異言であろうと預言であろうと知識であろうと、与えられた力は衰えることもあるし、失われることもある。滅びないのは「愛」だけだ。では「愛」とは何かというと、霊の「賜物」ではなくて霊の「結実」なのだ。(P131)

○善を行うには何をすべきかの答えを・・・分かっているのだが、それを実行できずに悪を行ってしまうことが問題なのだ。キリスト教はこの問題について、過去と未来という二つの方向で対応する。/ひとつは、過去に犯した過ちについてどのように「赦し」を受けるかで、それは「慈しみ(憐れみ)」による。二つ目は、では罪を許された後、どのようにして再び善を行う力を授けられるかで、それは「恩寵(恵み)」による。キリスト教の啓示は律法ではなく「慈しみ」と「恩寵」なのだ。(P155)

○「死」は、後で復活という劇的な奇跡を示して神の偉大さを納得させるユダヤ的「赦し」を準備するためのものではない。では十字架に至る苦しみや十字架上での死は何のためかというと、それは、神の強さではなく、神が人と同じ「弱さ」の地平に立ったことを表すものだ。神が超越性を手離して「子」という形で被造物の世界に内在した。それによって神はすべての人間と繋がったのだ。(P168)