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とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

和の国富論

 経済評論家・藻谷浩介が6人の“現智の人”と対談する。“現智の人”とは、現場で考え働く智者といった意味か。6人とは、速水林業の速水亨氏、漁業経済学者の濱田武士氏、

都市・建築プロデューサーの清水義次氏、元小学校教師の菊池省三氏、福祉系のNPO等で活動する水田惠氏、そして解剖学者の養老孟司氏だ。

 どの対談も面白い。中でも目を開かれたのが、漁業経済学者の濱田武士氏との対談。漁業は農業などとは違って野生動物相手の捕獲産業。獲れるかどうかは海に出てみなければわからない。養殖漁業が盛んになったとは言っても、餌は結局海で獲ってきたもの。その日の漁獲高はでたとこ勝負で、それを漁船や魚群探知機、冷凍運搬技術など多くの科学技術が支えている。不安定な産出量に対して、卸売りや市場など複雑な中間市場が出来上がってきた。漁業組合などもリスク回避のための仕組みの一つだ。だからこそ、古くからの「共同体の縛りが実は最も経済的に合理的」。

 山谷での支援活動からホームレスや障害者、生活保護者等の支援を行い、住まう場を確保する必要から不動産業を設立してしまった水田氏の経験も強烈だ。「収益構造は『貧困ビジネス』とまったく一緒」と自ら言うが、お互いの支え合う力を最大限に引き出し、「自分が死ぬときは、こういう感じで死にたいなぁ」と言わせる。人間は人の間で生きてこそ人間らしく在れることをまさに究極の環境の中で実現している。藻谷氏の最後の言葉が「今日は元気の出る話をありがとうございました」というのは、まさに水田氏の人柄と活動を表している。

 「和」は日本という意味もあるが、「和を以て為す」の「和」。そしてそれは単に人間同士だけでなく、木にも魚にも建物にも地域にも。「和」は人に幸福をもたらす。それが国の富につながる。単に金儲けの話をしているのではない。「和」は真の意味で国を富ませるだろうか。

 

和の国富論

和の国富論

 

 

○[藻谷] 50年サイクルという「林業時間」での思考を、今のグローバル資本主義はなかなか受け入れられない。ところが速水さんは「300年後に法隆寺の補修工事にこの木が使ってもらえるかも知れない」とか考えている。・・・/[速水] 逆にあんまり先のことは考えないんです。・・・300年先や400年先までイメージするけど、ただ、それに向かって今やれるベストのことしか考えない。(P50)

○[藻谷] 漁業の不安定さは、供給側にとっても、需要側にとっても、あまりにリスクが高い。それをヘッジして市場機能を維持していくために、産地と消費地に卸売機能を置く複雑な仕組みを作り上げてきた。・・・[濱田] しかも卸売市場は・・・魚の「目利き」という重要な機能を持っています。プロが品質を見極めて、それに見合った値段を付ける。旬な魚やその調理方法といった知識を媒介する。それが小売店から買い物客へと伝達されて、豊かで多様な魚食文化が維持されていくわけです。(P69)

○[藻谷] 濱田さんの本を読んでいて、じつは魚食文化こそが日本の豊かさを測る「モノサシ」になるんじゃないかって気づいたんです。魚食を守るためには、まさに国土と国民の総合力が問われますから。(P80)

○[水田] よく生活保護受給者が地域の重荷になっていると言う人がいますが、その認識は間違っています。生活保護の財源の3/4は国で、市区町村の負担は1/4ですから、市区町村が使った税金の4倍のお金が、地域で循環することになる。つまり受給者が地域にいるということは、地域経済全体の活性化につながるんです。(P157)

○[藻谷] 地方だけが消滅するという話も、東京という巨大な脳みその中で作られた妄想ですよね。東京という頭は、地方という手足を切り落としても生きていられると。そういう非現実的なことを現実だと信じることが、私はどうしてもできません。(P202)