とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

海図なき航海

 中部経済新聞の最終面に中部経済界の経営者等が自らの半生を綴る「マイウェイ」というコラム欄がある。内田橋住宅株式会社の馬場社長が還暦を期してこの欄に連載したコラムが2013年に中部経済新聞社から新書版で発行されていた。先日、ふとした機会に本書を発見し、読み出したら面白かった。一気に読み終えてしまった。

 内田橋住宅と言っても名古屋周辺の方以外は知らないだろうが、中堅の住宅開発業者である。マンションや戸建ての分譲を手広くやって、この地域では一定のブランド力を持っている。馬場社長は親からこの会社を受け継ぎ、30年近くに渡り会社経営に関わってきたが、実はそれ以前は三重大学で教鞭を取っていた。名古屋大学建築学科出身で、同級生が私の先輩にいたことから、「○○君は元気ですか」と最初に声をかけていただいて以来、随分前から馬場社長とは懇意にさせてもらっている。

 名大卒業後、東大大学院に進み、博士号まで取得して名古屋大学へ助手で戻り、その後は三重大で講師、助教授となった後に、家業を継ぐ決断をして研究者の道から足を洗った。そうした経緯は先輩から聞いて多少は知っていたが、改めて本人の筆で本書を読むと、その人生がいきいきと見えてくる。「海図なき航海」とは、名古屋大学から東大へ、さらにアメリカ留学の後、実業界へ実を転じた自らの人生をある意味、自虐的に喩えたものだが、その内容は思った以上に濃い。

 学生時代や研究者になって以降も、前向きで明るい性格そのままリーダーシップを発揮して人生を謳歌するとともに、東大大学院の受験や博士課程への進学、家業への転進など要所では先輩等に相談し、考え、決断している。海図はなかったかもしれないが、自らは決断力と判断力に優れた船長であった。

 本の3/4近くは転進する前の話で、現在の仕事に直結する話は書きづらい面もあるだろうが、やはり前半生の方が強く記憶に残っているのだろう。馬場社長は還暦を向かえ、この連載を引き受けた。私ももうすぐ還暦を迎える。自分の半生を振り返るとき、学んだ建築という専門が自分の多くを作っていると強く感じる。その上で、馬場氏は実業家としての、後半生の自分をどう感じているのだろうか。今度お会いしたときにそのことを聞ければと思う。

 

海図なき航海 (中経マイウェイ新書)

海図なき航海 (中経マイウェイ新書)

 

 

団塊世代の背中を追うばかりで存在感が希薄になりがちですが、私たちにも自己主張して勝ち取った成果があります。汐路中学に在学中・・・卒業間際の学生集会を経て長髪自由の権利を勝ち取りました。そして、旭丘高校卒業時には制服自由化を実現させました。先輩方のように大きなパワーで時代を動かすことはありませんでしたが、混乱後の後始末をコツコツと着実に成果として形にしてきたのは私たちなのだと、心密かに自負しているところです。(P37)

○境界領域が判然としない曖昧さこそが、建築学科を志望する多くの学生に「遊び」や「ゆとり」を与え、最終的な人生の進路を決定するまでに、さらなる貴重な猶予期間を提供してくれたのかもしれません。・・・私自身の生き様にあてはめてみても、このファジーな特性に支えられて、大学院への進学と専攻分野の決定、研究者としての進路選択、そして実業界への転進と大きく舵を切っていく原動力となったものに違いないと確信しています。(P57)

計算尺や数表などを頼りに計算していた頃には有効数字の概念が必要不可欠で、数字の持つ特性を正しく把握しておく習慣が身についていました。しかし、何桁でも自在に計算できる電卓の導入以降は、数字の息遣いが聞こえなくなってしまいました。コンピュータに依存する現在の構造設計に潜む落とし穴も、このことと共通した意識の欠落に起因しているのではないかと思います。/面倒な手戻り計算の繰り返しによってしか鍛えられない直観力を養っておかなければ、出力結果の異常性に気付く判断能力を失い、桁違いの初歩的なミスでさえ見過ごしてしまう。(P68)

○取引する資産市場があり、かつ世の中が良くなるという将来への期待があれば、いつかどこかでバブルが発生する。しかし過去の反省に成り立てば、起きてしまったバブルといかに共存するのかも一種のリスクマネジメントとして考慮しておく必要がありそうです。/市場が本質的に不安定であるとしても、現実の世界では過剰な反動に耐える心構えも体制も出来ていない。・・・さまざまな政治・経済の事例をみたとき、いたずらにポピュリズムに迎合して逆の方向にぶれ過ぎてはいないだろうか。冷静な判断でじっくりと考える心の余裕が欲しいものです。(P189)

○ところで、「安全」と「安心」は同じ概念でしょうか。私自身は、安全とは作り手が提示するスペックであり、安心とは消費者のリスクに対する判断だと思っています。したがって、消費者がスペックをよく理解して、自らの意思と負担によって安心を獲得するという意識改革が求められています。そして、私たち事業者にとっては、安全の指標をわかり易い物差しで正しく提示する努力が欠かせません。(P201)