とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

サッカー右翼 サッカー左翼

 「左翼のサッカーと右翼のサッカーがある」。これは元アルゼンチン代表監督のメノッティの言葉だそうだが、それに誘発されて、様々な監督が指揮するサッカーを右翼と左翼に分けて批評する。

 右翼の一番手は何といってもアトレチコ・マドリーディエゴ・シメオネバルセロナレアル・マドリードに伍して戦うシメオネのサッカーは守ってからの強烈なカウンターで勝利をめざす。勝利至上主義。メノッティに言わせれば「カウンターは突然芽生える恋心」、「プレーアイデアに含めること自体が愚か」。しかし勝利至上主義と言われても、ビッグクラブに果敢に戦いを挑むシメオネやクロップのサッカーはサポーターの心をがっちりと掴んで離さない。右翼のサッカーが必ずしも保守的なわけではない。それどころか左翼のサッカーこそが保守であり復古主義だと言う。

 左翼のサッカーと言えば、クライフであり、グアルディオラであり、そしてベンゲルのサッカーだ。ボールに触り、コントロールし、プレーを楽しみ、その先に勝利を目指す。まさにサッカーの王道。だがその源流は第一次大戦後、イングランド式の身体をぶつけ合うサッカーに対してスコットランド式のパスをつなぐサッカーでオーストリアを始めとして大陸にサッカーを広めたジミー・ホーガンの指導に始まる。

 本書では第1章で「右翼のサッカーと左翼のサッカー」を定義づけた後、様々な監督のサッカーを紹介して右翼のサッカーと左翼のサッカーを検証していく。クロップのアナーキーな魅力、モウリーニョの非凡なまでの平凡、そしてビエルサやチリ代表のサンチェス監督らのサッカーは右翼・左翼を越えて宗教的ですらあると言う。第4章の各国代表チームのサッカーは監督によって右派と左派が入り乱れ、ややわかりにくいが、第5章では改めて右翼・左翼のサッカーの歴史を振り返る。カテナチオの誕生と劣化版コピーの蔓延といった話も興味深い。

 本書を読むと実は右翼のサッカーこそが革新であり、挑戦であることに気付かされる。本書は昨年末の発行だが、今シーズンはプレミアリーググアルディオラ、クロップ、モウリーニョベンゲルなど本書で取り上げられた右派・左派の監督たちが集結した。そこでどんなサッカーが繰り広げられるのか。最高に楽しみで、実に興味深い。

 

サッカー右翼 サッカー左翼 監督の哲学で読み解く右派と左派のサッカー思想史

サッカー右翼 サッカー左翼 監督の哲学で読み解く右派と左派のサッカー思想史

 

 

○サッカーは勝利のためにプレーするゲームだが、単純に勝てばうれしいというほかに・・・サッカーの場合、プレーそのものに喜びがある。ボールをコントロールしたり、ドリブルで抜いたり、正確なパスを通すこと自体に面白さがある。・・・そして、プレーする喜びは見る側にも伝わって観客を喜ばせる。「人々を幸せにする」わけだ。(P20)

○サッカーは基本的にロースコアのゲームだ。・・・どんなに戦力差があり、チームの財力やステータスに差があっても、例えば10分間ならその差はほとんどないかもしれない。そこに活路を見出して戦い抜く、抵抗する姿は、彼らのファンに大きな勇気を与えるだろう。それは勝利至上主義を超えて、精神的に敗北しない崇高なサッカーになりうる。・・・その姿勢は「人生は闘い」を正しく体現している。そこに人々が大きな共感をおぼえるのはまったく不思議なことではない。(P35)

○クロップのドルトムントが典型的な右翼サッカーかというと、それもだいぶ違う。戦術的には右翼に分類されるのだが、その形の内に宿る精神が右翼的ではない。全く結果至上主義ではないのだ。右か左かというより、アナーキーなのだ。右でも左でも、整然としたサッカーはクロップにとって退屈でしかない。もっと動的で激烈で、まさに「突然芽生える恋心」のような、決して予期できないもの。クロップが彼のサッカーに求めているのはそれなのだ。(P96)

○機械的なのに冷たくない。立ち上がるような熱気を纏ったサッカーだ。ひたすらプレーすることに没頭しているように見える。没我の境地というか、勝利という目標すら念頭から消え去って、ただ純粋にプレーしているかのように。・・・ビエルサ派のサッカーは、持たざる者とまではいえないがリッチでもない、いわば中産階級と相性がいいように思える。上にも下にも行けない、そんな状態のクラブにビエルサ流が注入されたとき、中流クラブが覚醒する。・・・極左ビエルサ一派は政治より宗教のにおいがする(P119)

○サッカーにおいての左翼は基本的に保守であり、復古主義なのだ。・・・クライフはボールを支配することで試合を支配しようとした。ボールを支配する、つまりボールポゼッションのためには、より良くボールを扱えなければならない。・・・つまるところクライフが力点を置いたのはジミー・ホーガンがオーストリアやハンガリーの選手たちに伝えたことと変わらない。(P208)