とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

内田樹の生存戦略

 久しぶりに内田樹を読んだ。「GQ」に連載している人生相談を2012年から2016年春まで、全部で67問。「人をほめるときの基準」や「ネットの普及が雑誌衰退の原因か」など、内容はかなり千差万別。でもいつもの内田節でバッサバッサと回答していく。

 連載の最初はまだ民主党政権で、その後は安倍内閣が順調に支持を集めていく。もちろん安倍首相の政策に対しては尽く批判的なわけだが、単なる批判ではなく、同時にこうした政策が続けられたら未来はどうなるか、そうした未来の予測まで思いっきりよく書いていくのが内田流。その予測は残念ながら(幸い)、必ずしも当たっていないことが多いが、しかし社会の歪みだけは着実に増大しているように思う。

 全67問に対して掲載年ごとに見出しが付けられている。2012年は「大人になっても、わからないことだらけです」、2031年は「世間の良識って、何ですか」、2014年は「成熟するために必要なことを教えてください」、そして2015・16年は「不条理なことの多い社会に、モヤモヤしています」。この見出しを見るだけでも年々社会が壊れていきつつあることがわかるような気がする。

 本当に日本はこのままどうなってしまうんだろうか。タイトルの「生存戦略」もまた、今や日本人は自らの生存について戦略的に考えなければならないことを示しているようだ。この日本で僕らはどうやって生きていけばいいのだろう。「死んでも続く人生を、生きているうちにどう準備するか。」(P209)と言うけれど、準備しているヒマなどあるのだろうか。内田先生、今度は「死への準備の方法」でも教えてください。

 

悩める人、いらっしゃい 内田樹の生存戦略

悩める人、いらっしゃい 内田樹の生存戦略

 

 

○どこかで日本のジャーナリストも・・・人間の汚点や弱みや醜悪なところに焦点を合わせて、「かっこつけんじゃないよ」って言うのが正義の執行だと勘違いしている。・・・正義が大切なのは、社会的なフェアネスが担保されている方が、・・・みんな陽気になれて、わいわい騒げるからですよ。正義の執行のせいで、みんなが気鬱になって、新しいことを始める気概も失せて……ということになるなら、正義なんかない方がましです。(P16)

○「殺すのは誰でもよかった」とか言っている無差別殺人って、だいたい女の子とか子供とか老人を狙うでしょう。・・・邪悪な人間だってのべつ邪悪なわけじゃないんです。邪悪になれる相手を選んでいる。・・・だから、友だちがたくさんいて、さまざまなネットワークにつながっている人、開放的でパブリックな人間には、なかなか邪悪な人間は接近できないんです。(P116)

○これまでアメリカが世界各地に軍事介入してきたときの大義名分は「民主と人権」です。本音は単に自国の国益追及なのですけれども、それでも「民主と人権のために」という大義名分を掲げるのを止めたことはありません。それだけがアメリカの「超法規的」な軍事行動を正当化できるからです。/日本政府に「国民の私権や自由を制限して、上意下達の強権的な政体をつくって、それによってアメリカの軍事行動に協力します」と言い出されるとアメリカは困る。当座の国益にはかなうけれど、建国の理念には反する。(P185)

○死者がほんとうは何者であったのか。それは遺されたものたちが共同作業で死後につくり上げるものです。・・・だから、死んだあとにも多くの人に語り継がれ、「あの人が生きていたら、どうしただろう?」という問いを繰り返し喚起するような人物は、死んだあとも、ずいぶん長いこと生きていることになる。・・・死んでも続く人生を、生きているうちにどう準備するか。それが人間のたいせつな仕事なんじゃないんですか。(P207)

○敗戦国は敗戦の経験の総括にみんな失敗します。同じように、一度でも植民地であったことのある国は植民地支配の歴史の総括に失敗する。正確に記述しようと思ったら、植民地支配に協力した同胞をひとり残らず洗い出して、断罪しなければならない。でも、そんなことできるはずがない。「その話はなかったこと」にするしかない。・・・植民地から解放されたあとも、そのとき「ほんとうは何があったのか」について被支配者自身が口を噤んでしまって語らない、語れない。(P339)