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とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

台所のラジオ

 吉田篤弘は「クラフト・エヴィング商會」の一人として活動するとともに、いくつかの小説を発表している。前に「パロール・ジュレと魔法の冒険」を読んだが、長編で少ししんどいなとそれ以来やや敬遠していた。久し振りに吉田篤弘の名前を見て、今度はどんなかなと手に取った。

 雑誌「ランティエ」に連載した短編が12編。いずれも本書のタイトルどおり、台所に置かれたラジオが出てくる。ラジオ番組で女性アナウンサーが語る言葉が物語を動かすこともある。ただ置かれているだけのこともある。短編に描かれた人物や飲食店が他の短編でまた顔を表すこともある。しかしはっきりと連作の形を取っているわけではない。

 各短編に共通して流れるテーマは、「台所のラジオ」の他に、のんびり、ぼやっとして、ねじが数本外れたような、変人たち。「抜き打ち検査官」だったり、毛玉姫だったり、「ひとしらべ」人だったり。そして時にゴーストで、時に推理小説の作中人物(私立探偵と助手)だったりする。そしてみんないずれも古い物好き。若しくは日常の時間とは別に流れる時間を生きている。

 言ってみれば「クラフト・エヴィング商會」が扱う商品のような小説たち。まあ、とてつもなく深い意味や内容があるわけではない(と思う)が、読書という時間を和ませてくれる。読書って、何の役にも立たないけど、でも「何もない」ってことが本当は最も大切なことかもしれない。よくわからないけど。

 ということで、のんびりとゆったりとした時間はあっという間に過ぎ去っていく。どうしてゆったりした時間はこんなに速く過ぎていくのだろう。

 

台所のラジオ

台所のラジオ

 

 

○「ぼくはね」と真剣な顔で夏美に自分の夢を語った。/「ぼくは、悲しみをしまい込む箱をつくりたい」/「え?」/「そうしたらもう、みんな悲しまなくて済むし」/「―箱?」と夏美は確かめた。/「そう。持ち運び可能な小さな箱がいいんだけど、なかなかうまくいかなくて」(P11)

○たとえば、体育の時間に繰り返された徒競走が嫌いだった。子供が走る練習をするのはいいことかもしれないが、なぜ、他のひとより速く走らなくてはならないのだろう。それとも、誰かと競わないと、ひとは速く走れないのか。そうなのだとしたらとても悲しい。競うことでしか、あたらしい強い力が生まれてこないのなら、わたしはそんなもの欲しくない。誰かより速く走りたいともおもわない。(P54)

○人が生きて仕事をして死んでゆく。それは一体なんだろう。なんの意味があるのか。何ひとつのこさず―つまり、プラスもマイナスものこさずに逝ってしまった父は、この世にどんな痕跡をのこしたことになるのか。・・・「たっちゃんをつくったじゃない」・・・僕は、はたして人の役に立つのか立たないのかよくわからないものをつくりつづけ、子供ものこさず、いつかこの世から静かに消えてなくなる。(P252)

○「何もない」と「すべてがある」ことは、どうも同じような気がしてならない。・・・何かを見つけることだけが大事なのではなく、何も見つからないこともひとつの結論なのだと思う。(P267)