とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

ホセ・ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領

 ウルグアイの元大統領ホセ・ムヒカについては、「世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ」という絵本を読み、その内容に深く感動した。もちろんこれは私だけではなく、そのスピーチは世界の多くの人々を惹きつけ、多くの感動を呼んだ。だが絵本に登場するムヒカは農場暮らしをする好々爺として描かれており、必ずしも大統領としてのムヒカの実像をすべて伝えているわけではない。今春に本書が発行され、ようやく素顔のムヒカを知ることができた。予約数が多く、手に取るまで長い時間を待ったが、本書を読んだ人の多くはムヒカの実像に触れ、どう思っただろうか。ムヒカはリオでのスピーチ以上にしたたかで魅力あふれる政治家だと思っただろうか。

 私は最初、本書をムヒカの半生を綴った伝記だとばかり思っていた。しかし実際は大統領就任前から大統領を退任するまでの5年間余り、ムヒカに密着して取材してきたジャーナリストらによるドキュメントである。時系列というよりは、行動や思想、交友、外交などのテーマに沿ってムヒカの考えや言動を紹介していく。

 第1章「大統領候補」では、大統領候補として名前が挙がった時から、あいまいな言動を繰り返し、周囲を翻弄しつつ、戦略的に大統領を引き受けていく。そんな姿を描く。正直、ムヒカの来歴を知らないとわかりにくい。だがムヒカ自身はどんな時も自分が置かれた状況や周囲の期待、批判などを客観的に捉え、それらを巧みに利用しながら自分の理想とする政治運営を執り行っていく。

 「理想」と書いたが、彼自身は「現実主義者」だと言う。たしかにそうだ。だから元ゲリラという出自や左翼政権にいるにも関わらず、右翼政治家や軍部などとも積極的に会話を交わし、時に左翼陣営以上の友人となり、またその政策を評価し取り入れる。だが一方でけっして自由主義者であり無政府主義であるという理想は捨てない。政治家はあくまで国民の生活を良くするために存在すると言う。

 本書の「はじまり」は日本の建築家がウヒカのスピーチについて検索する場面から始まる。しかし、その後は一切「日本」という言葉が出てこない。ブラジルやアルゼンチン、ベネズエラチャベス元大統領、キューバカストロ兄弟など、南アメリカの政治家との交流はもちろん、オバマ大統領やロシアのプーチン大統領、中国の習近平主席、ドイツのメルケル首相など、世界の名だたる政治家がムヒカを訪ね、また招いているというのに、日本との交流は一切ない。ムヒカが安倍首相と会っていたら何と言うだろうか。

 本書の出版と合わせて4月に初めて来日したムヒカだが、大学での講演やインタビューには応じたが、日本政府要人との会談はなかった。安保法や富裕層に対する批判などは少し聞かれたが、日本が国際社会に果たす役割についてムヒカ自身の考えを聞きたかった。いや、たぶん、「現状では何も期待できない」ということかもしれない。そうでなければムヒカ側から日本政府へ積極的なアプローチがあってもおかしくない。

 それにしても政治家とはどうあるべきか。それを身をもって示している。偉大にして稀有な存在だ。

 

ホセ・ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領 (角川文庫)

ホセ・ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領 (角川文庫)

 

 

○ムヒカ氏は決してお花畑の理想主義者ではなく、きわめて合理的な現実主義者である。しかししれは冷厳というのではない。彼は言っている。「イデオロギーで政治をしてはならない。大事なのは、現実を生きている人の生活が良くなることなのだ」と。政治家が自分で描いた理想の国の姿に国民をあてはめようとすれば、国はどんどんやせ細る。大事なのが「国の形」になってしまい、そこで現実に生きている国民を忘れてしまうだろう。(P7)

○知識の源となるもののひとつが一般常識だ。問題なのは、現実よりもイデオロギーが優先されるときだ。現実とは、顔面にパンチをくらってノックダウンされるみたいに厳しいものだ。もしイデオロギーが現実にとって代わるようなことになれば、人は架空の世界を生きるようになって崩壊し、現実とはかけ離れた絵空事のような結論に辿り着く。私は、今現実を生きている人たちの生活を良くするために戦わねばならんのだ。・・・国民の幸福を私たちの理想の犠牲にすることはできない。(P74)

○政治家の資質のひとつは、時代を読み解く術を知っていることで、私は時代を自由という概念に基づいて分析する。私たちは本物の自由主義の国家だ。自由主義と無政府主義は、従兄弟のような関係だ。私は今のウルグアイが、これまで歴史的にそうであったように、前衛的な国になってほしいと思っている。そのために、これらの社会改革を進めているんだよ。(P215)

○ヨーロッパでは、前衛的な政治という考えは少なくなってきており、一部の国では、いまだに征服の考え方が支配的である。2011年にドイツのクリスティアン・ヴルフ大統領から、・・・ヨーロッパがアフガニスタンで民主主義を確立する手助けをしてほしいと頼まれたとき、・・・この要請に対しムヒカは、「それこそあなた方が抱える問題だ。つまり、ヨーロッパ中心主義なのですよ。あなた方の民主主義の形態を他国に押しつけることはできないということを、いまだに歴史から学んでおられない。(P262)

○私たちは素晴らしい世界に生きているが、必ずしもその素晴らしさが見えているわけではない。人は美しいものの横を通ってもそれが見えないことがあるようだから、私たちの目を開いてくれるものが必要だ。/目が開くと不安が生まれることにもなるが、これまでよりも生きているという実感が得られる。光の高度を上げると夜がより暗く感じられるように、知識が増えれば増えるほど、自分が虫けらのようなちっぽけな存在に感じられる。人生の美しさはその奥深さだが、人生というものは厳しくもある。(P293)