とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

無駄な仕事(事務職と技術職)

 先日来、ある施設の建替えの検討を行っている。建替え予定地が複数ある中で、ある予定地について「その土地が適当でない理由を作ってくれ」と言われた。「土地の条件が悪いため、工事費が余計にかかる」「周囲が住宅地で住民対応が懸念される」など、理由は簡単に挙げられるのだが、「じゃ、工事費はいくら余計にかかるんだ」と聞かれ、「それは設計をしてみないとわからない」と答えた。すると、「土地を斡旋してきた先方に断る理由にしたいから、概算の追加工事費を出してくれ」と言われた。もちろん作業はするのだが、概算と言っても簡単には出てこない。それでも何とかひねり出し、資料にして提出した。

 作業をしてくれた人たちには「どうせボツになる作業なのに申し訳ない」と話をした。そんなことを同じ組織の事務職の人に話したら、「仕事として求められたことを行ったんだからいいじゃないですか」と言われた。また、「それは技術屋らしい感想ですよ」とも。

 われわれ技術職は、私の場合は建築職だが、やはり建物が完成することをめざして仕事をしている。完成につながらない仕事は無駄な仕事と思ってしまう。しかし事務職の人たちは日々仕事を行うことが目的で、その内容には無駄を感じないのか。「理解はしますよ」とは言ってもらったが、そこに事務職と技術職の感性の違いを感じた。

 大手建設会社の広告で「地図に残る仕事」なんてフレーズが使われていたが、彼らに「地図にはいっさい残らない仕事をやれ」と言ったら、やはりそんな仕事はしたくないと思うだろう。建築物の場合はけっこう回転が速いので、私が若い頃に担当した建物はそろそろ建替えの検討がされていたりする。だが初めから実施しないことがわかっている建物の検討をするのはやはり空しい。社会人になって30数年。技術職の精神がすっかり身に付いてしまっていることに今さらながら気付いた。