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とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

喪失の戦後史

 平川克美が戦前から現在までの歴史と日本人の意識の変化を語るというので興味を持って読み始めた。元は「ラジオデイズ」で開催された全6回の講演記録ということで、話し言葉で書かれているために、非常に流暢に流れていくし、また長々と余談が語られる部分もあって、それがまた面白い。ついつい平川氏の話の面白さに惹き込まれて本題を忘れてしまうが、本書は戦前から戦後、高度経済成長期、相対安定期を経て現在に至るまでの日本人の庶民の意識の変化を筆者独自の視点で語ったものだ。

 まず、戦前と高度成長期までの戦後では、日本人の意識はほとんど変わっていないと言う。それはつまり、イエを中心とした家父長制、権威主義的な精神が内面化され、天皇からマッカーサー、そして会社へと服従の意識のまま進んでいく。そして高度成長期には生きることが働くことだった。しかしその時代が終わり、相対安定期に移ると、人々の意識は消費中心へ移っていく。消費社会への移行だ。そして人口が減少局面に入った現在、時代はこれまでにない状況に移っていく。

 広井良典らが言う、いわゆる定常化社会への移行だが、平川氏の視点が特徴的なのはあくまで庶民の生活に視点を置き、移行期的混乱を指摘する点だ。定常化社会への移行期。それはこれまでのみんなが少しずつ果実を分け合う時代から、みんなが少しずつ不満を分け合う時代になるということ。その精神をうまく共有し、定着させないと、アルゼンチン型のデフォルトや超格差社会ナチスのような独裁政治を招来させかねない。そこまでは書かれていないが、そういう不安があるのではないだろうか。

 先に「人口と日本経済」を読んだ。そこには「経済成長は人口要因だけではなく、実はリノベーションの影響の方がはるかに大きい」といった趣旨のことが書かれていた。しかしたとえそうであったとしても、リノベーションの成果をいかに国民に分配するかが問われる。そこを欠いて、GDPは増加しうると言っても国民生活にとってはあまり意味がないことかもしれない。そして我々はこの大変化の時代をいかにやり過ごせばいいのか。平川氏の庶民の視点はその意味でも心強い。

 

喪失の戦後史

喪失の戦後史

 

 

○日本人たちは、民衆レベルでの意思と闘争によって「国づくり」をしてきた経験がない。・・・上から国家観や倫理観、宗教観を戴くという態度が常態でした。・・・共同体の最初単位は家であり、その内実としての家族でした。その家を模倣拡大していく先に地域共同体があり、国家があったということです。イエを貫く、基本原理は、家父長主義、権威主義であり、その権威に対する姿勢は「服従」以外になかったということです。いや、むしろ「服従」しているということが意識の下に内面化されて、上からの声は天の啓示であるというように、合理化してしまっていたということかもしれません。(P73)

○人間はなぜ働くのかということを現代人は問いますよね。高度経済成長期だったらそんな問いは出てこなかったでしょう。・・・あえて言えば、食うために働いていたのですね。/とにかく週休二日制が定着してゆくなかで、人々の価値観の根底が、労働中心から消費中心へと移っていったのです。・・・端的にこれを、生産社会から消費社会への移行と言うことが出来るでしょう。(P146)

○問題は、人口が増大し、科学技術が進歩し、経済的な流動性が向上していた右肩上がりの時代に作られたシステムが、うまく機能しなくなってきているということです。その最たるものは、株式会社という資本調達、生産のシステムで、株式会社というものが生まれてきた17世紀後半、飛躍的な成長を遂げた産業革命期のような時代的な背景が焼失してしまった時代に、株式会社は生き残りを賭けた戦いを強いられることになっているということです。(P171)

縮小均衡というのは、誰もが、少し不満であり、少し不便であると感じるような状態が、長く続いていくということです。でも、そろそろ、この誰もが少しずつ我慢をするという状況を受け入れ、それがむしろ時代のデフォルトなんだというところへ舵を切っていって、その中で生活の質の豊かさを見つけていくように、意識も、社会制度も変えていく必要があります。(P212)

○いわゆる成熟した時代における民主主義というのは、みんなで少しずつ不満を分け合うという形になるほかはないでしょう。みんなで少しずつ果実を分け合うんじゃないんですよ。全員で少しずつ不満を分け合う、です。成熟社会というのは、共同体の構成員たちが、そういうことができるほどに、大人になるということです。・・・現実には、長く続く小さなフラストレーションにみんなが耐えられなくなっている。しかしこれに耐えていくということが、実は私たちが生き延びていくための知恵だというふうに、私は思っています。(P218)

○私はこれからの社会というのは、当分のあいだ混乱が続くとみています。人口増大から人口減少へと移行するような文明史的な転換期であり、それは同時に、経済成長社会から定常化経済社会への移行を必然化しています。ところが、この後者の移行を受け入れがたい人々や企業集団があります。・・・かような移行期には必ず、社会を変革しなければならないというアジテーターが出てきます。しかし、私は、こんなときこそ、冷静で、正統的な思想を語れる人々とともにありたいと思っています。(P222)