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とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

ドイツ人が見たフクシマ

 タイトルから、ドイツでは福島原発の事故がどのように捉えられているのかを語る本だと思った。もちろんそこから始まるのだが、本書はその後ドイツが選択した脱原子力というエネルギー政策について解説するものである。福島原発後の2011年8月6日に、原子力法が改正施行され、ドイツは8基の原子炉の廃炉と9基の原子炉の2022年末までの段階的停止を決定した。それまで原発推進派だったメルケル首相がなぜこうした選択と決定を行ったのか。それに加え、エネルギー政策の転換により、エコ電力賦課金の増加など、国民負担はさらに増し、核廃棄物処理費用の負担に関する激論が交わされ、電力アウトバーンの整備に住民の反対が巻き起こっている。こうしたドイツにおける現在に至るまでの様々な環境政策にかかる問題や議論等もあまねく説明されている。

 まだドイツの政策は動いている。しかし国民のエコ電力や原発廃炉への意識はもう元に戻らない。そんなことを言い出す政党は選挙に勝てない。なぜそうなったのか。チェルノブイリ事故の影響、福島原発事故の影響もあるが、そもそもドイツ国民の気質がそうさせているのではないか、と筆者は言う。それは、世界一高いリスク意識と悲観主義、完全主義、環境ロマン主義、そして「木よりも森を重視する」人間中心主義。

 人間はなぜ生きているのか。ドイツ人には、健康と安全を重視し、豊かな人生を第一に考える習性が身についている。先日の電通の過酷労働による自殺報道を思うとき、ドイツとの違いを考えざるをえなくなる。最後に、ドイツには「政治の優位」が根付いていることが語られる。それは政治家の暴走や独裁ではなく、民意が反映される政治を行うことだ。改めてドイツの状況をうらやましく思う。

 

 

○あるCDUの政治家は、「これまでドイツの原子力論争は、あまりにもイデオロギー的な色彩が濃かったので、我々保守派は原子力リスクについて楽観的でありすぎた。緑の党のリスク分析の方が、現実的だった」と述べ、あっさりと環境政党に対して「敗北」したことを認めた。/ドイツが福島事故からわずか4ヵ月足らずで、全原子炉を停止させる日を確定できたのは、福島からの衝撃的な映像が追い風となって、「挙国一致」的な反原発ムードが盛り上がったからである。(P75)

○日独のエネルギー政策の最も大きな違いの一つは、再生可能エネルギーを拡大するというドイツ政府と国民の決意が、日本よりもはるかに固いことだ。私は過去25年間ドイツ人たちの態度を観察したが、彼らは「まずエコ電力の拡大ありき。それが国民経済に及ぼす負担は、二の次」と考えているようにすら見える。(P125)

○安全には、「制御された安全」と「本質的な安全」の2種類がある。たとえば旅客機には墜落の危険を減らすための様々な安全措置が施されている。・・・これが「制御された安全だ」。・・・これに対し、墜落で死亡するリスクをゼロにしたいと考える人は、旅客機に乗らない。・・・これが「本質的な安全」、つまり絶対的な安全である。/原子力エネルギーについて、ドイツ人は「本質的な安全」・・・を選んだ。これに対し、日本の政府は、原子炉の安全基準などを強化することによって、「制御された安全」の道を選ぼうとしているように見える。(P232)

○彼らの人生哲学は、「初めにリスクありき」である。/ドイツ人のリスクに対する基本姿勢は、「行動」することだ。つまりドイツ人は、リスクを見つけた場合、手をこまねいていたり、無視したりするのではなく、リスクを最小限にするために積極的に行動する。・・・ドイツには「喉元過ぎれば、熱さを忘れる」という考え方はない。彼らはリスクの萌芽を見つけると、むしろ最悪の事態を想定する。リスクを小さくしようとする彼らの努力には、ドイツ人の「完全主義」と「徹底性」そして「健康と安全を最優先する姿勢」が現れている。(P239)

○現象の細部、すなわち「木」を見ることは大切だが、私は日本が「森」、つまり人生で一番重要なものを見失わない社会に変わることも・・・重要だと思っている。/ドイツ語には、Primat der Politik(政治の優位)という言葉がある。これは、民意を反映する政治が、経済や科学技術など他の分野に優先するという意味だ。ドイツ人たちは、福島事故後の脱原子力決定によって、この国に「政治の優位」という原則が生きていることを、全世界に対して示した。(P261)