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とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

徳は孤ならず

 「徳は孤ならず」は論語の一節。徳ある人はけっして周りが放っておかないといった程の意味。今西和男のことである。現在の日本サッカーの隆盛にあたっては、一般的にはJリーグを創設した川淵三郎が有名だろうが、そしてもちろん川淵が果たした役割をけっして否定するものではないが、サッカーの実力向上という意味では今西和男が日本サッカー界に果たした役割ははるかに大きい。

 サンフレッチェGMとしてその名は知っていたが、FC岐阜の社長に就任した時はびっくりした。その後、社長を退任したが、その顛末までは知らなかった。筆者の木村氏も辞任して2年が経過した後に、一通の手紙を受け取り、その顛末を知ったという。そして取材を重ねていくにつれ、Jリーグによる地方クラブに対する酷い仕打ちが明らかになってきた。本書の後半はまさにこの事実を糾弾する内容となっている。

 だが前半は、FC岐阜に至るまでの今西の半生と、彼を慕う多くのサッカー人たちのインタビューや彼らの人生が綴られている。小林伸二松田浩高木琢也風間八宏片野坂知宏久保竜彦・・・。それらを読むだけでいかに今西が多くの人に慕われているか、そして今西が多くの選手や関係者に愛情を注ぎ、親身になって世話をし、サッカー選手としてのみならず、社会人として育ててきたかがよくわかる。それらの温かい話を読むだけで胸に熱いものがこみ上げる。

 人を育てるだけではない。FC岐阜ではJリーグの100年構想そのままに、Jチームで最多の地域貢献活動を行い、地域のための、地域に根差したクラブづくりを目指してきた。にも関わらず、Jリーグは自らの構想を踏みにじるように、今西を切り捨て、屈辱を味わわせるだけでなく、未だにFC岐阜の1億5000万円もの債務を負わせたままだという。ひどい話だ。

 今西和男も既に75歳になった。未だに多くのひとびとが今西を慕い、集まってくる。そのことをもっと僕らは知っていい。一方で、彼にそれほど酷い仕打ちをした人々は、今やJリーグを離れ、その首謀者の一人は何と、川淵氏の右腕として日本バスケットボール協会の専務理事に収まっているという。バスケットボールと言えば、今年、川淵チェアマンの下でJリーグよろしくプロ化の旗揚げをした。そんな人物が組織内に収まっていて大丈夫か。

 今は今西氏も重荷が降りてホッとしているだろうか。いやきっと岐阜で思いが遂げられなかったことについて痛恨の気持ちでいるだろう。救いは今西氏が育てた人々がその思いを継いで、日本各地でがんばっていることだ。その芽を絶やさず育てることでこそ、日本サッカーの未来はある。けっして興行的にJリーグが成功するだけが必要なのではない。内実は今西氏が作ってきたのだ。

 

徳は孤ならず 日本サッカーの育将 今西和男

徳は孤ならず 日本サッカーの育将 今西和男

 

 

○30歳にして、7500人の兄貴として寮生を育て、ひとつにまとめていくという経験が、後の「今西一家」と呼ばれるサンフレッチェの組織作りの土台になっていった。最初は手探りであったが、8年間務めあげる中でついには寮での教育を軌道に乗せた。(P54)

○「今西さんが偏った見方をしていなくて、懐が広いんですよね。風間八宏だったり、松田浩だったり、私[小林伸二]だったり、若手の森保だったり、いろんなタイプを取ってきて、それに合ったものを提供してくれているんですね。『お前ら、全員こうだ』ではなくて、それぞれ違ったソースを分けて与えているんです。ある程度伸びると、違う仕事に挑戦させたりして、さらに伸ばす。決めつけずに押しつけずに伸ばす。(P91)

○「こう言われたんです。『クラブの価値っていうのは強いことだけじゃない。それだったらお金次第で何とでもなる。そうではなくてクラブの価値は善良なこと。地域に役立つクラブ、地域を愛するクラブを作っていきますよ』と。そのときに、ああこの人は、外から来たのに岐阜を心から信じてくれているんだと思ったわけです」(P156)

○私たちが、財界の皆さまにとって支援に値する、真に価値のあるクラブとなるために、これまで以上に地域と向き合い、岐阜県におけるクラブの価値を磨き続ける『覚悟』があります。FC岐阜は、岐阜県そのものになりたいと真剣に考え、行動していきます」・・・ここに記されているのは、プロチームで予算がないからお金をください、というお願いではない。Jリーグ100年構想の理念を具現化すれば、それは同時に地方自治の本旨をも実現できるという思いと、岐阜のために働くという覚悟である。(P217)

○今西は確かに岐阜を追われた。しかし、そのマインドは、触れ合った多くの選手やスタッフに連綿と受け継がれていくに違いない。元社員たちは今でも今西を慕い、毎年12月になると何台かの車に分乗し、大挙して広島に通っている。1泊しては市内の居酒屋でイマニシ会をしているのだ。選手の菅も漢宰も社員だった宮城も石橋も、すでにクラブにはいないが、それぞれの現場で今西の志を具現化している。「サッカーで社会貢献をする」。ならばこの地で苦労した6年間は、決して無駄ではない。(P265)