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とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

芸能人寛容論

 数ヶ月前に新聞の書評で読んで、面白そうだと予約した。その書評にどんなことが書かれていたか、今は覚えていない。必ずしも気楽なタレント本とだけ思っていたわけではない。でも気楽さも求めていた。そしてそんな中途半端な期待に応えてくれる。小難しい社会論ではなく、かと言って、単に芸能人を持ち上げたり、揶揄したりするだけの本でもない。それなりに読みごたえがある。

 マツコ・デラックス森高千里を適正に評価し、ファンキー加藤SEKAI NO OWARIは適切にこき下ろす。石原さとみの唇に必要以上に流されることなく冷静を保ち、aikoのわからなさについてのぐだぐだした文章にも共感する。柳沢慎吾加藤浩次島崎和歌子に対する評価は高いが、吉田羊や沢尻エリカでは芸能事務所とタレントの関係が語られる。

 筆者の年齢を見ると、まだ35歳。んっ、若い。それでいて、芸能界の裏側や成り立ちまでよく見えている。書き出しで別のタレントのことを書きながら、最後はしっかりと帳尻があっている。文章も巧い。連載元の「cakes」を見たら、有料コンテンツだった。残念。仕方ない。それで次はドゥマゴ文学賞を受賞した「紋切型社会」を予約した。

 

芸能人寛容論: テレビの中のわだかまり

芸能人寛容論: テレビの中のわだかまり

 

 

〇2014年秋・・・マイナンバーの通知が始まったが、この政治広報CMに起用されたのは上戸彩だった。・・・政府は上戸彩ではなく石原さとみを起用すべきだっただろう。・・・彼女がこの数年で培った、あるいは広告代理店に培わされた「サブリミナル」を利用するべきだった。彼女なら、国民を知らぬ間に理解した気にさせることができたはずだ。石原さとみは常に、こちらの無自覚を狙って入り込んでくる。(P19)

〇この数年でJ-POPベルトコンベアの歌詞は「自分探し」から「コミュニケーション力」となり、震災後はその「力」を取り外して、もともと備わっている絆や仲間に寄り添う「コミュニケーション」に再び気づこうとする働きかけがトレンドになってきた。ファンキー加藤のメッセージはどの水準にも達していない。(P76)

〇あらゆるスペックが整っているのに、そしてそれらが完璧に維持されているのに、島崎和歌子は解析されない。芸能人は押し並べて移りゆく様を観察され続けているから、何かの突出した案件を受けて、ふくれ上がるように論評を食らうことになるわけだが、島崎和歌子はそういう可能性から逃れてきた。・・・どんな大御所でも、一つの事柄で立場は揺れる。・・・一方、話題になりづらい人は、別荘を見せるなどして価値を保持しようと働きかける。そんななか、島崎和歌子はずっと変わらない。(P83)

〇女性シンガーの曲が、特効薬のように「誰の何を代弁しているのか」に即答させられる時代に、aikoは「女性の揺れる恋心を代弁している」と周囲に安っぽく撒かれることを許しながら、自分自身は率先して、自分だけにしかわからない感覚的な迷路を用意してずんずん迷い込んでいく。(P188)