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とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

モテる構造

読書

 モテたいから本書を読み始めたわけではない。副題は「男と女の社会学」。山田昌弘が最近はどんな研究をしているのかという興味も本書を読み始めた理由の一つだ。

 そもそも昔から男女の違いについては関心があった。それは自分自身が男性の中で生きづらさを感じていたからに他ならない。本書では、男性の場合、「仕事ができる」が「女性にモテる」と直結するが、女性の場合は「できる=モテる」ではない。こうしたジェンダー構造が男女それぞれの生きづらさの背景にあると説明する。そして現代においても、欧米では「できる」と「モテる」の分離が社会的・意識的に進んできているが、日本においては、パラサイト・シングルの存在などにより、なかなかこのジェンダー構造が変わらず、生きづらさが変わらないと言う。

 当たり前のようにも思うが、確かにそれはそうだろう。一方で、自分自身を振り返れば、ある程度「仕事はできる」と自負するが、それが「モテる」につながっているとも思えず、何よりも自分自身が「仕事ができる男でいたくない」という思いが強い。家事などがしっかりできる男性でいたいとも思う。これはどう分析すればいいのだろう。これは私が性異常者だからか? でも、もちろん性対象としては女性しか受け付けないし、妻も子供もいる。

 たぶんこうした男性は少なくないように思う。ただ、それを告白することは男性の「らしさ規範」から逸脱するため、自ら言い出せないだけのような気がする。いや、けっこう多くの男性が「こんな男性らしさ規範には縛られたくない」と思っているように思う。それでもそこから抜け出せないのは、男性は「doing する性」だからだろうか。そして妻や娘は? 妻は女性の「らしさ規範」にどっぷり浸かっているように見えるが、平成生まれの娘はどうか?

 そうした将来の姿までは書かれていない。上述したように、日本はまだ近代社会のジェンダー構造を引き摺っていると書かれているが、私と同年代の筆者の目にはそう見えても、既に若者の意識は変化しているかもしれない。いずれにせよ、男性/女性だからといって生きづらい状況は変わっていくことが望ましい。そんな社会に生きてみたかったようにも思う。

 

*1" src="https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/41bwQ5cyUnL._SL160_.jpg" alt="モテる構造: 男と女の社会学 *2" />

モテる構造: 男と女の社会学 *3

 

 

○社会的制約を明らかにすることは、自分の置かれている枠を明らかにすることである。その枠を明らかにしてこそ、枠を飛び回る自由、および、枠の中にとどまる自由を得る。・・・社会学の役割は、見えなかった枠を明らかにすることだと思っている。それが、人生の多様な選択肢を可能にする条件となる、つまり主体性につながるのだと思う。(P039)

○人は、男/女だから、男らしさ/女らしさの規範に従うのではない。男/女であると確信したいがため、男/女として周りから見られたいがために、男らしさ/女らしさの規範を利用するのである。(P055)

○自分が男として認められたい、女として認められたいという欲求が存在する限り、性別のらしさ規範をなくすことはできない。・・・そして、女性差別男性差別)解消、つまりは、女性もしくは男性であることによって生じる生きにくさをなくしていくために、男女の区別をなくせばよいといった安易な戦略以外の方策を考えていく必要がある。・・・らしさ規範自体を存続させながら・・・①男性/女性であることによって不利益を被ることがないことと、②男女の対等なコミュニケーションをめざすことが求められる。(P063)

○近代人は、社会、そして、他人にとって必要な存在として認められたいという欲求、アイデンティティ欲求を持っている。そして、そのアイデンティティ欲求を満たすためには、定職に就く、結婚して家庭を形成することが、近代社会では一般的である。その課題を満たすために「仕事能力」「性的魅力」を大人になるまでに身につけていく必要がある。(P115)

○ナンシー・チョドロウは・・・近代社会では、男性を「doing する性」、女性を「being である性」と規定した。女性は、なにもしなくても、女性であるという性自認はなかなか揺らがない。男性は、男性であることを証明するために、さまざまな男性らしいことを「すること」が要求される。(P174)

 

*1:ちくま新書 1216

*2:ちくま新書 1216

*3:ちくま新書 1216