とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

100%の努力で80点の仕事

 先日、ある政治家の話を聞いていたら、「確かに私どもにも○○など反省すべき点はある。しかし問題の根本は△△ではないのか。」と言って、△△を強く批判する言葉を吐いていた。このポイントは、最初に「私どもにも反省すべき点はある。」と多少とも自らの非を認める点にある。ここで、最初から最後まで△△の批判に終始したら、「あなたがたには何の問題もないのか」と逆に非難されたかもしれない。しかし両者のマイナスポイントを並べることで、自分への批判も認めつつ、「しかし両者を比較すれば相手の方が相当にひどいだろ」と追及の矛先を相手に逸らしている。なるほどうまいものだと思った。

 この政治家がそうした言い方を意図して行っていたかどうかは定かでない。だが、自分のこととして振り返ると、2年ほど前に、多くの人の前である人を非難して、逆に「お前はどうなのか」と追及された経験がよみがえってきた。その時は、非難をした直後には大した批判もなく治まったものが、後日、別の形で非難されることとなり、非常に窮した。あの時、私は「勝ちすぎた」のではなかったか。

 それで先日の政治家の話を聞いて、今、思う。確かにある仕事に対して100%の努力を注ぐことは大事だ。しかしその結果に対しては、常に「80%の出来に過ぎない」と思う謙虚さが必要だ。100%の仕事ができたと思っても、時間の経過や見方の違いにより、欠点や改善点が見つかるものだ。どんなにがんばっても80点しか取れない。常に20%の改善の余地、反省点があると思うことで、心に余裕も生まれ、批判を受け入れることができるようになる。

 そのことが2年前のあの日にわかっていたら、もう少し別の言い方をしただろう。今さらながら、そんなことを勉強した。人生って一生、学び続けるものだなと感じた。