とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

人生の夢

 高校生の頃、私の「人生の夢」は、「老後、縁側で孫の面倒を見ながら日向ぼっこすること」だった。社会人になってそんなことを言ったら、「それはおかしい」とか「○○さんらしい」とか言われたが、「夢」としてはそんなこと。

 もちろん「人生の目標」と言われれば、別のことを挙げたかもしれない。小学生の頃は「建築家になりたい」と卒業文集に書いたし、大学は建築学科に進学した。でも、大学生活を送る中で、「とても自分には建築家になれるだけの才能はない」と自覚するようになり、今の会社に入社することになった。入社後も別に「社長になりたい」などと思ったことはない。同期入社の人数は少なかったし、大学院卒などみんな自分よりも年上だったので、出世とか考えることもなくただ与えられた仕事をこなしてきた。

 同期が退職してみると、同年齢では自分が最も入社年が早く、そのせいもあってそれなりのポストには就いたが、それを望んでいたわけではない。定年を間近に控え、今はただ、このまま無事に退職の日を迎えられればいいと思うだけである。

 もちろん仕事へのこだわりはある。会社の業務の中で自分が手掛けてきたものは順調に成長してほしいと思うし、そういう意味ではそれが「会社員としての目標」と言えばそうかもしれない。最近は人事評価で自ら目標を設定し、達成状況を査定するといった取組も行われている。やり残したものもいくつかあるし、もう少し続けたいと思うこともなくはない。でも退職すれば会社とは縁が切れるわけだから、それらのこともきっぱり忘れる必要がある。

 60歳を過ぎて「人生の目標」を立ててもしょうがない。でも「人生の夢」なら語れるかもしれない。海外旅行とか、日本一周とか。趣味の世界で楽しむというのも「人生の夢」になるだろうか。でも残念ながらそんな趣味もない。旅行は好きだから、いろいろと行きたいとは思うけど、それが「夢」かと言うと、それほどでも、という感じ。それでやっぱり「縁側で孫の面倒を見ながら日向ぼっこすること」を「人生の夢」としよう。もっともわが家には縁側はなく、娘もいまだ結婚する気配もないから、夢のままで終わるかもしれない。その方がむしろ「人生の夢」にふさわしい。