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とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

ザ、コラム

 小田嶋氏のパソコンに退蔵されていた既発表のコラムから、書籍化の予定のないもののうち筆者が自選するコラムを集めたもの。いつかどこかで読んだことがある内容のものも多いが、小田嶋隆のコラムは心地よい。これまでも何度か書いたが、小田嶋氏とは同年代。団塊の世代の後ろを歩まざるを得なかった世代のルサンチマンを吐露するコラムには激しく同意する。確かに「私怨」かもしれない。

 他のコラムも、さすが自選しただけあって、切り口鋭いものが選定されている。「Paint It, Black」「Helter Skelter」「Walk on the Wild Side」「Take It Easy」と名付けられた各章の下に、8から9編。全部で35編。最も気にいったコラム? それは難しい。下に引用もしたが、「『アベノミクス』の勝利」は慧眼だ。「松田直樹選手に寄せて」はしんみり心に沁みる。「天国への団塊」や「紳助とまさしとオレ」は先述したように1956年生まれに共通する感慨だ。「まさかの坂の雅子様」は天皇制論を密かに批判する。

 どれも面白い。失業中の身。暇な時間に読めば、すぐに読み終わってしまった。

 

ザ、コラム

ザ、コラム

 

 

団塊。英語でマス、マス・プロダクション。マス・コミュニケーション。マス・マニュピレーション。そしてマスターベション。/うん、たくさんだな。ゲップが出そうだ。できれば関わり合いたくないです。/でも、実際には、どうしようもなかった。なにしろ、すぐ前を歩いているんだから。・・・あくまでも、団塊の後ろを歩いてきた人間の目から見た個人的なレポートとしてこの原稿を書き進めたい。/理由?/私怨、かな。(P12)

団塊の前に道は無い。/団塊の後には草も生えない。/そして、わたくしどもポスト団塊世代は、花火大会の翌朝の河川敷で途方に暮れるボランティアみたいな、およそ割に合わない役回りを担いつつ、気がつけば老眼年齢に到達している。(P17)

〇この国では、いじめ被害は、「世間から浮いた」という意味で、「恥」と見なされる。/一方、いじめ加害者は、「空気を読んだだけ」だと思っていて、あまり責任を感じていない。のみならず、自分がいじめっ子であった過去は、一種の武勇伝として通用している。・・・「同調」を絶対善とし、「孤立」を「悪」とする、集団主義の教条。いじめ被害者を同調脱落者として蔑む「勝ち組」の勝利宣言。/結局、いじめられないためには、いじめる側にまわらないといけないということなのか? そんなにオレらの社会は腐っているんだろうか。(P68)

〇思うに、紳助ならびに田代は、われわれの世代の人間の、世間に対するスタンスの取り方を代表している。人格そのものについて言うなら、われわれのうちには色々なタイプの人間がいるし、硬軟善悪正邪美醜のすべてが揃っている。が、世界に向き合う時の態度には、やはりどこかしら似通ったパターンがある。紳助と田代は、そういう1956年生まれの人間の処世のあり方の典型として、登場し、成功し、破滅し、消滅した人間なのである。/では、その処世とは何か。/スネ夫だ。(P107)

〇経済政策としてのアベノミクスが成功しているのかどうかは、私にはわからない。・・・その点については、「わかりません」とお答えしておく。/その上で、私が強調したいのは、「アベノミクス」が、経済政策として機能する以前に、むしろ、経済政策を隠蔽するよう度として、見事にその役割を果たしているということだ。/思うに、政権の側が用意したスローガンなりキャッチフレーズを、メディアの人間がそのままのカタチで使ってしまうことは、その媒体が政府の御用聞きに成り下がったことを意味している。(P167)