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とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

たとえ世界が終わっても

 橋本治って、小説「桃尻娘」でブレークして、その後はもっぱら文芸評論の分野で活躍している。という認識だが、これまで一作も読んだことがなかった。それで本書から読み始めるのは、橋本治ファンからは噴飯ものかもしれないが、言ってることは意外にまとも。でも年代を感じずにはいられない。そもそも本書は、橋本治集英社の50代と若手の編集者相手に、日本の現在と未来を語るという内容だが、話はいきなりヨーロッパの歴史からスタートする。

 「大きいものを求める時代は終わった」という時代認識を説明するものだが、そこから「昭和」の終わりと「社会」の終焉について語り、「心のない論理」が蔓延する現在を嘆く。貧しさのない時代に生まれ、「社会」が既に成立していた中で育った若者に対して、今さら「昭和」の時代にあったものを語ってもなかなか伝わらないだろうなとは思うが、若手代表の「ホズミ君」が次第に言葉数も少なく、最後まで納得できない感じが表されている点が面白い。「こんなおじさん話、よく聞くけど、結局全然実感できない」というのは、たぶんそうだろうなあって思う。

 でもおじさんとしては語らざるを得ない。いやおじさんではなく、あと何年生きているかわからないおじいさん話。だから一応、耳を傾けるし、いつか言わんとすることがわかる時もあるだろう。「たとえ世界が終わっても」って、いったいどんな世界が終わるんだろう。次の世界はまたきっと「こんな世界ってあったよね」と言われるんだろう。でもその時には、そんな世界のことなんて、誰も実際には知らないはず。ホズミ君がけっして橋本さんの話が理解できないように。だからこれはおじさん以上が読む本なのだと思う。「その先の日本を生きる者たちへ」という副題がついているが、その「者たち」は、今これを読んでもさっぱり理解できないのではないか。

 

 

神聖ローマ帝国・・・内にいろんな王国や侯国や商業都市が混在してたけど、たいして力のない皇帝に代わってやろうって考える人間がいなかったから、「帝国」という枠組みが崩れずにそのまんまでいた。・・・つまりEUってのは、800年続いた神聖ローマ帝国みたいなゆるい枠組みなんですよ。・・・ヨーロッパには、やっぱりヨーロッパとして一つにまとまりたいっていう願望はあるんだと思うんですよね。でも、強い力で一つになるっていうのは、だめなんですね。(P68)

〇ジャガイモもトマトも新大陸から来たもので、そう考えると、実はヨーロッパって意外とモノがなかったんですよ。西洋人って実は貧しい人たちなの。・・・だから、贅沢をするには貿易をするしかないんです。西洋人の欲とアドベンチャー精神っていうのは、ある種、ないものねだりが生み出したエネルギーかもしれないという気はするよね。(P89)

〇投資って、「産業をおこすため」にみんなで金を出し合うっていう、ある種の「助け合い」だったりしたのが本来でしょう。/縁もゆかりもない人に金を借りて、「見返りとしてこういう利益を保証したいんですが」というだけの話で合って、別に金融をやっていれば金持ちになれるわけじゃない。ところが、今の金融とか投資って言われているものは・・・ほとんど隙を狙うゲームか軽業みたいなことをやっているだけだからね。/そういう風に実体経済を無視して「金融経済だけあればいい」っていう考え方自体が、実は、経済を自滅させる考え方なんですよ。(P120)

〇日本から貧乏がなくなって、「常に貧乏と立ち向かうように生きる」という、日本人最大のモチベーションがなくなっちゃった。・・・「貧乏に立ち向かうための真面目な考え方」・・・に対して、「バカじゃねェの」っていう攻撃が始まるの。・・・80年代のバカというのは、「からかう」という形の批評なのよ。・・・そのバカが批評として機能したのは、そこに硬直化した「昔の真面目」があったからね。・・・でも・・・「からかわれる」という攻撃にあった「真面目」は、いつの間にかなくなっちゃった。・・・「社会建設」も、そうやって埋められちゃったんだ。(P138)

〇自分が社会の小さなひとコマで、社会の上に乗っかって生きているんだという「地動説」ではなくて、自分の頭の中で社会が回っている「天動説」の中で生きていて、社会と切り離された「根拠のない自我」だけが勝手に膨らんでしまった人たちのことを、私は「バカじゃないの?」と思うわけです。/人が地動説から天動説に変わって、社会建設という意識が消えて、社会と切り離された「心のない論理」と、きれい事でしかない「心の論地」に埋め尽くされちゃった。(P215)