とんま天狗は雲の上

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アメリカ帝国の終焉

 面白い! タイトルからは単に昨今のアメリカの退潮、衰退を指摘する本かと思い、大して期待せずに読み始めた。そして、アメリカの経済的衰退と覇権の喪失を説明する序章、第一章、第二章まではほぼ予想した内容が綴られていた。ただ興味深いのは、今次のグローバル化ポピュリズムの台頭が実は20世紀初頭に続いて2度目のことだと指摘して比較し、そこからアメリカ帝国の衰退を説明していくのはこれまで聞いたことのない視点だ。

 それでも、アメリカの衰退というある意味、聞き飽きた内容にはただ淡々とページを括っていたが、「勃興するアジア」を取り上げる第三章になって俄然、面白くなる。一般的には中国の経済発展も曲がり角に来ていると指摘する批評が多い。だが、そんなことはないと筆者は言う。それどころか、世界は中国を中心に、東南アジア、さらにインドも巻き込んで、アジア生産通商共同体の成立に向かっていると指摘する。

 そして終章では、不平等の拡大として批判されるグローバル化が、実は先進国と途上国との格差の縮小という効果を上げている点を指摘する。であるなら、国益・民益を第一に、対米同盟を相対化して自立的な外交を行うカナダを事例に上げつつ、日本は今後、アジア共同体を軸に、経済政策と外交を展開すべきだと主張する。

 なるほど、単にアメリカの衰退を指摘するだけでなく、その現実の前に、日本の進むべき道を指し示している。そしてそれは十分可能であり、現実的である。北朝鮮を敵視し、軍事化と随米外交だけを進める夜郎自大な安倍政権とは現実を見る目が明らかに違う。

 本書は最後に、故郷の十勝市で、グローバル化の中で世界に打って出る起業家を描いて終わる。グローバル化は日本国内でも、経済的に遅れていると思われてきた地方において、格差の縮小という取組を可能としているという事例だ。時代は確実に変わってきている。もはや新しいグローバル化アメリカ帝国の終焉を導き、新たな世界が現出しようとしているのだ。

 

 

自爆テロは、宗教的なものを主たる動機としていない。主たる動機は、外国軍による“支配”への反逆と抵抗という、すぐれて政治的なものなのである。・・・その政治的動機が、宗教上の教義によって正当化される。そしてその教義が、とりわけ感受性が強く社会的に未熟な、あるいは政治的不正義に敏感な若者たちを、自爆テロへ駆り立てている。/だから自爆テロは、イスラム世界だけでなく、非イスラム世界でも生起する、政治的自立のための、下からの反乱である。(P100)

〇国際政治経済学者は、国々が、一定の地理的空間のなかで、生産や通商を軸に、地域内協力の絆をつくり強めていく国家間協力の制度化の動きと深化を、地域統合と呼ぶ。その呼び方に従うなら、東アジア単一経済圏の成立は、“事実上(デファクト)”の地域統合の生成を意味している。/その歴史は、法制度の積み重ねからなる“法制度上(デューレ)”の地域統合としての、欧州統合の歴史とは異質だ。そのアジア特有の地域統合の歴史が、ゆるやかに、しかし確実に生成展開しつづけていくのである。(P148)

〇もはや日本も、狭い日本列島内でダムをつくり高速道路やリニア新幹線を張りめぐらせ、“列島強靭化”によって繁栄を手にできる時代は終わりつつある。/一国内インフラ投資効果は、もはや限界に達しているからだ。/であるなら、私たちが取るべき戦略は、アジア太平洋地域に広がる巨大な地域空間のなかで、インフラ投資を進め、開発と管理に共同参画し、アジアの繁栄に資することではないのか。(P201)

〇帝国アメリカが解体し、アジアが勃興しつづけるいま、私たちに求められているのは、したたかでしなやかな「同盟の作法」なのである。/巨大帝国に隣接したカナダは、建国以来、米国と緊密な同盟関係を維持しながらも、対米同盟を絶対化せずに相対化し、国益と民益を最大化する、自立的な外交を取りつづけている。/そのあるべき同盟の作法こそが、アメリカ帝国が解体するいま、ポストGゼロに向けて日本に求められている。(P209)

〇たしかにグローバル化は・・・限りなく不平等を生み出してきた。しかし・・・進行するグローバル化が、一方で先進諸国内の不平等をおびただしく拡大させながらも、他方では、先進国と途上国との不平等を急速に縮めている現実だ。・・・そこから勃興するアジアが生まれ、もう一つの資本主義が興隆しつづけている。(P212)