とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

ぼくの死体をよろしくたのむ

 2013年9月から2017年1月まで、雑誌「クウネル」や「つるとはな」、「きらら」の掲載した短編を集めたもの。全部で18編。川上弘美らしく読み易く、そして少し突飛だけど、普通の心に根差している。

 川上弘美も59歳。ご主人はもう定年になったのだろうか。川上弘美自身も勤めていれば、定年間近い。そのせいだろうか、学生から退職後まで、人生を自由に移動し、俯瞰する。「年が明け、四年生になり、やがて卒業し、就職した。それからさらに、十年が過ぎた。」(P134)。「お金は大切」の中の一節だが、他にも、あっという間に時間が過ぎていく。「土曜日には映画を見に」では、207ページで「翌年・・・小西さんと結婚した。」わたしは、208ページでは「月日がたち、小西さんは定年」になり、209ページで「小西さんの両親をみおくり、わたしの両親もみおくり、やがてわたしは定年を迎えた」。時間があっという間に過ぎ去る。というか、人生の中の必要な時間だけを切り取って描き出す。

 そう言えば、「時間の流れを変える」魔法を使える一族の話もあった。でも魔法にしろ、小人にしろ、犬のたましいにしろ、それで登場人物の日常が変わるわけでもなく、当たり前の設定として日々の生活が過ぎていく。

 また、「死」が当たり前のこととして受け入れていることもこの短編集の特徴として挙げられる。「ぼくの死体をよろしく」というタイトルからして、変と言えば変だが、他にも新聞や雑誌の死体写真を集めている女の子などが登場する。川上弘美ももうすぐ60歳だしな。本書を読みながらそんなことを思った。でも素敵な60歳ですよ。

 

ぼくの死体をよろしくたのむ

ぼくの死体をよろしくたのむ

 

 

〇その人の顔を、今はもう知っている。/けれど、その人と会っていない時にその人の顔をそらで思い出すことは、できない。/顔だの、声だの、性格だの、その人の一部分のことではなく、わたしはその人の全部、全部が全部に、恋したのだ。/でも、全部って、何だろう。/体があって、心があって、それにつれて表情があらわれ、声がもれる。/それが、わたしにとってのその人の全部だ。(P014)

〇「ねえ、自分に似た男って、今までに見たことある?」/あたしは聞いてみる。/「俺に似た男? いるわけないじゃん」/光月は答え、あたしを抱き寄せた。/「どうしてあたしと一緒にいるの」/「いたいから」/「じゃ、いたくなくなったら、どうするの?」/「知らねえよ、そんな先のこと」/そんな先、ということばに、あたしは嬉しくなる。そんな先。そのころまでに、きっと世界なんて滅びている。生まれて初めて、あたしはスペアのことを考えることをやめた。(P043)

〇犬のたましいは、いい匂いがします。なくしたきれいな気持ちみたいな臭い。プリンちゃんはそう表現します。満は、ときどき私が近くにいることに気がついているような気がします。どうか私のたましいの匂いを、満がかぎわけてくれますように。(P079)

〇「死ぬことは、悲しいことじゃないよ。忘れることの方が、ずっと悲しい」/あっ、と思った。るかのことが気に障ると思っていたのは、あたしの勘違いだったのだ。気に障るのではなく、不安だったのだ。るかの存在そのものが。/「もしかして、あんた」/るかの顔をじっと見ながら言うと、るかは静かにうなずいた。「うん、死ぬ前に、親しい人たちに会っておきたくて。最後はお前に会いたかったんだよ。おまえが心配でね」/るかの姿が、かき消えた。・・・ただ、ぬいぐるみの人がただけが、出窓にぽつんと横たわっていた。(P121)

〇「わたしの小説は、毒にも薬にもならないから、いいのよ」/黒河内瑠莉香は、いつか言っていた。/「で、ほんとうに、死ぬの?」/という、今日の黒河内瑠莉香の質問には、結局、「死にません」/と、答えたのだった。死の誘惑は、強い。今も、まだ死はあたしを呼びつづける。でも、死なない。あたしは、今のところは、そう決めているのだ。(P179)