とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

慨世の遠吠え 2

 久しぶりに内田樹を読む。右翼思想家の鈴木邦男との対談。鈴木邦男は今では右翼界からは追放されたと自分で言っているから、右翼ではないのかもしれないけど。前に出版された「慨世の遠吠え」を読んでいるかと思ったが、自分のブログを検索しても出てこないので、二人の対談は初めて読むようだ。

※PS. と思っていたら、かつて読んでおり、しかもブログ記事として掲載されていたことを発見しました。やれやれ。

 「はじめに」で鈴木邦男が「内田樹が同じ相手との対談を二度行うのは初めてだ」と書いている。そして内田樹をべた褒めした挙句に、これは「インタビュー本だ」と書いている。そのべた褒めぶりにびっくりしたが、インタビュー本という記述はそのとおりかもしれない。鈴木邦男が持論を語る部分は少なく、あったとしても一般的な論にとどまっているが、内田樹の語る内容はいつもながらナルホドと思わせる。事象の整理や視点、着目点が他の評論家などと違い、際立っている。最近は一時ほど内田樹が話題になることはなくなったが、それでも久しぶりに読む内田樹は変わっていない。さすがだ。

 ということで久しぶりに内田節を堪能した。「政治的中立というのは自由に意見が言えることだ」という指摘は正しいし、安倍政権と日米関係に対する見方も独特だが、確かにそうかもしれない。安倍政権はトランプ政権との関係の中で、まだまだ続くのか。だがその間にも着々と日本は劣化していくような気がする。それも含めて内田先生にはお見通しなのかもしれない。いずれにせよ、内田樹は健在と改めて認識した。

 

慨世の遠吠え2

慨世の遠吠え2

 

 

〇武道の起源というのは古代に遡るんです。日本の古代に飼部という食農民と、海部という職能民がいて、それぞれの特殊技能をもって天皇に仕えていた。海部は漁民です。この人たちは風と水の力を制御する技術を持っていた。操船技術ですよね。飼部の特技は騎馬技術です。馬に乗る技術を持っている。野生獣の持っている巨大なエネルギーを統御する技術に長けていた。この二つの技術はともに自然エネルギーを統御するものだったわけですけれど、これがのちに武道になっていく。(P44)

〇日本列島住民は古代から中国文化圏のなかにいたわけですから、華夷秩序コスモロジーを自然に受け入れていた。・・・そして、周辺の蛮族は部族を統一すると、ただちに軍勢を都に向けて「中原に鹿を逐う」ことになる。これも華夷秩序の内部ルールなんです。匈奴も、モンゴル族も、女真族も、満州族も、部族統一を果たすと中央に進撃していって、新しい王朝を建てる。遼も、金も、元も、清も、そうです。/だから、秀吉は日本列島を統一した以上、中華思想に従えば、次は「中原に鹿を逐う」ことが義務づけられる。・・・べつに気が狂っているわけじゃない。(P48)

〇政治的中立というのは「私は政治的に中立である」という自己申告を信じるという話じゃない。さまざまな相互に対立する政治的意見が共生していて、全員が言いたいことを言う権利がある状態のことです。政治的中立という「モノ」があるわけじゃない。みんなが自由に自分の意見を述べ、だれの意見が一番適切だと思うかを自己責任で判断されることが許されている、そのような自由な環境のことを政治的中立性と言うわけです。ある政策に対して、「わたしは賛成でも、反対でもありません」と述べることが中立なんじゃない。(P131)

〇世界情勢が不安定になって、アメリカの管理能力を超えるような事態が頻発すれば、アメリカの「手駒」として動いてくれるなら、日本は独裁政権でもかまわない。改憲でもなんでもしてくれということになるでしょう。安倍政権が集団的自衛権や安保法案で、世界情勢がより不安定になる方向に掉さしているのは、世界が不安定になればなるほど、アメリカの仕事が増えれば増えるほど、アメリカは「使い勝手のいい同盟国」を求めるようになる、だから政権が安泰になるというねじれたメカニズムを熟知しているからです。(P165)