とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

チェ・ゲバラ伝

○人が革命家になるのは決して容易ではないが、必ずしも不可能ではない。しかし、革命家であり続けることは・・・きわめて困難なことであり、さらにいえば革命家として純粋に死ぬことはいっそう困難なことである。エルネスト・チェ・ゲバラの生涯は、このもっとも困難な主題に挑み、退くことをしらなかった稀有の例であった。革命家には勝利か死しかないというおのれの、あえていうならばロマンティックな信条の命ずるままに自分の行動を律して終えた。革命にもしロマンティシズムがあるならば、「チェ」は文字通りその体現者だったのである。(P9)

 

 印象的な書き出しで始まる。昨年来、チェ・ゲバラについての本は、「ポーラースター」「チェ・ゲバラ」「チェ・ゲバラの遥かな旅」と読んできたが、最後に読んだ本書がやはり決定版という感じがする。「チェ・ゲバラの遥かな旅」の方がノンフィクションとして、よりチェ・ゲバラに寄り添った書き方がされている。それに対して本書はより客観的にチェ・ゲバラの行動を取材し、筆者としての考察を添えている。例えば、コンゴでの活動については、その後に刊行された著書(ウイリアム・ガルベス著「チェのアフリカの夢」)等を参考に、補章として書き加えている。

 元は、1970年から文藝春秋に連載された記事。それが1971年に単行本として発行され、文庫本となり、補章を加えて二次単行本が1998年に刊行され、普及版として2001年に再発行され、そして今回、2014に増補版として発行された。私としては昨年末からほぼ半年かけてようやく読み終わったわけだが、そしてその間には棚に置いたままの時期も長かったのだが、それでも後ろの半分は一気に読み終えてしまった。

 読み終えて、改めて、筆者のチェ・ゲバラに対する畏敬の念を強く感じる。今、世界的にイスラム教徒らによるテロが頻発している。彼らはチェ・ゲバラの闘争を知っているだろうか。将来を見通しつつ、戦略をもって行動する。チェ・ゲバラを超える革命家はもう出ないだろう。だが、革命家という以前に人間として、チェ・ゲバラを超える人は少ない。これから世界的に激動の時代が到来することが予感される中、チェ・ゲバラの生き方を振り返ることは意味があると思う。

 

チェ・ゲバラ伝 増補版

チェ・ゲバラ伝 増補版

 

 

○職を得るために、便宜的あるいは形式的に入党することは、チェのもって生まれた気質からして、とうてい認められないことだった。なにか事をなすにあたっては、他人の押しつけによらずあくまでも自分自身の意思によって行われるべきだというのが、終始一貫してかれの生涯を支配している主題であった。(P82)

○軍の目的は、外敵に対して国家を防衛することにあるが、ラテン・アメリカにあっては、それはナンセンスに近い。今日、ラテン・アメリカの諸国が、外敵に侵略される危険があると考えるものは、ひとりもいないだろう。それは1953年の時点でも、同じことであった。軍は、国家を守るために機能するものではなく、圧政者を国民から守るために存在していた。(P100)

○幸運がチェたちを導いたにすぎなかったのであるが、右のような数々のエピソードを想うとき、わたしはそこに天の意思といったふうなものを感ぜずにはいられない。82人のうち、大半は戦死するか捕虜になるかしたのだ。生と死は紙一重だった。生き残れたものは、わずかであった。しかし、カストロ兄弟をはじめとして、キューバに必要なひとにぎりの人間がすべてその中にふくまれていた。(P157)

○ラテン・アメリカの人びとにとっては、チェのような家系の、いわばエリートが革命家として生きそして死んだことが、不可解で仕方がないようであった。現世の楽しみを本能的に求めるかれらには、チェの生き方は、理解の外にあるらしく、それをいう人は少なくなかった。しかしながら、このなみはずれた生き方こそが、チェの魅力であり、ラテン・アメリカに限らず全世界の若ものたちの間での熱狂の源泉にもなったのだ。かれはボリビアのジャングルの中で銃弾に斃れたが、同時にまた不滅の生をかち得た、といってもいいであろう。(P392)