とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

世界文学を読みほどく

 池澤夏樹が世界文学と日本文学の全集編さんを行なっていることは知っていた。しかし世界文学を大して知っているわけでもない私が読むような本ではないと、これまで敬遠してきた。でも、ひょっとして池澤夏樹なら、わかりやすい文章で世界文学を解説してくれているかも。そんな期待もして、本書を手に取った。2005年に刊行した講義録に、講演録を一つ加えて再発行されたもの。

 対象とされた小説は、スタンダールの「パルムの僧院」を始め10編。「カラマーゾフの兄弟」や「百年の孤独」は読んだことがあるが、「魔の山」や「ユリシーズ」となると、さすがにこれまで手が出なかった。それでも本書の中で池澤夏樹は一編一編、丁寧にあらすじを紹介しつつ、内容を検討していく。これはわかりやすい。

 「パルムの僧院」は物語の魅力、「アンナ・カレーニナ」はメロドラマ、「カラマーゾフの兄弟」は信仰や倫理と人生について。そして「白鯨」に至って小説のあり方が大きく変わり、「百年の孤独」では民話の世界が小説を駆動する。池澤夏樹は、これらの小説の裏にある筆者の意識や世界観・社会観を現代に引き寄せて再考する。

 時代が進むにつれて世界の在り様は大きく変化し、個々の人間の社会に対する在り様も大きく変わった。社会という一つの全体が見えなくなり、一人ひとりが孤立した中で生きざる得なくなる。そんな中でこそ今、小説に求められる役割があるのではないか。筆者自身が自身の小説も素材にしながら小説論を語る。そしてその語り口はとてもわかりやすい。池澤夏樹を改めて見直した。これからも池澤夏樹の小説を読んでいこうと思った。

 

 

〇人の心の動かしかたの技術は発達しました。そして理念はなくなりました。教会には神がいて、聖書があって、人々の魂を扱っていた。今その人々を動かすためのシステムは魂のことを言いません。パンのことだけです。・・・「カラマーゾフの兄弟」を成立させている世界は、われわれが今生きているこの世界と非常に近い。情欲、信仰、無神論と哲学、それから自由の問題。パンとサーカスのことも含めて、今の時代と非常に重なるところが多い。(P159)

〇言ってみればぼくたちは、集団の意識、あるいは集団の無意識という地下水から、それぞれ自分の井戸を経由して、水を汲み上げて使っているのではないか。自分は非常に個性的で、自分個人の考えだけで、自分なりの判断をして、事を決めて生きているんだと言っても、実はそれは全て、われわれ人類の今までの体験の中に何か先例やパターンがある。個性、個性と言ったって知れている。だから、例えばある物が流行すると、みんながそれを追いかける・・・人というのはそんなに孤絶していない。(P185)

○アメリカ人自身が・・・罪を認めて、先住民たちの権利の復帰への動きが広まったのは、本当にこの二十年ほどのことです。・・・かつて奪ったということ、それから黒人をアフリカから連れてきて束縛した上で、強制労働をさせた、それによって富を作った、ということは、アメリカ人の心のどこかでずっと、一種の重い罪の意識のような形でずしんと残ってきたのではないだろうか。それが今アメリカ人全体に影を落としているのではないか、という気がします。(P262)

大きな物語がかつてはあった。革命でなくても、宗教でも、立身出世でもなんでもいいのです。自分の人生を嵌め込める物語がある、ということです。そういうものがみんな失われて、言ってみればわれわれは、壊れてしまった大きな物語の破片の間をうろうろしている、それが今なのではないか。とりあえずその日その日で何を消費するかを考え、暫定的に日を送っている。それだけではないのか。(P402)

○世界は今や細分化していて、もはや全体像は描けない。では、どうなってきているのか。われわれは、今の世界を持ってはいるけれども、その全体はもう見えない。確かに一つの集合を成してはいるけれど、しかし脈絡がない。全体は誰にも見えない。みんなその一部を持ってきては、それぞれ勝手な物語を組み立てるだけです。(P408)