とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

野良猫を尊敬した日

 穂村弘講談社エッセイ賞を受賞したというニュースが先日流れた。最もニュースの中心は同時に受賞した小泉今日子の方だったとは思うが。受賞した「鳥肌が」は昨年7月の発行だが、本書は今年の1月発行。穂村弘の最新刊ということになるのかな? 主に北海道新聞に掲載してきたエッセイが60数編。短いのでそれぞれ一瞬で終わる。中でも多いのは自らの弱さをネタとするもの。これって、前に読んだ「蚊がいる」もそんな感じだった。それが慰められるようで心地良いという人もいるんだろうな。というのは「蚊がいる」を読んだ時と同じ感想。でもその後は「絶叫委員会」を読んだだけ。それは多分こうした内容が個人的にはあまり心地良くなかったからだろう。でも「鳥肌が」は少し趣向が違うようだ。今度はそちらを読んでみようか。それでつまらなかったら、またしばらく穂村弘からは離れることにしよう。

 

野良猫を尊敬した日

野良猫を尊敬した日

 

 

○彼女は紙袋をすっぽり頭に被って出てきた・・・社内恋愛が恥ずかしかったのかなんなのか。理由ははっきりしないが、とにかく自分の顔だけは見せないという彼女の気迫が伝わってきた。・・・しかし、いや、だからこそ私は感動した。「頭隠して尻隠さず」という言葉があるが、彼女のきっぱりぶりは、この諺に打ち勝っていた。・・・紙袋のまま会釈をして礼儀正しかった彼女は、一体誰だったんだろう。(P42)

○モノたちの進化のスピードには随分ムラがある、と思う。ハイスピードで進化するモノの代表は携帯電話。・・・一方、なかなか進化しないモノもある。その代表は傘。私が子供の頃から基本的にはおんなじだ。・・・昭和の人が現代にやってきたら、スマートフォンをみても何だかわからないだろう。でも、傘は「傘だ」とひと目でわかる。/携帯電話や傘に限らず、世の中はこちらの希望通りには進化しないことになっているらしい。(P85)

○たぶん、私は心の深いところで自分に自信が持てていないのだろう。こうありたいと願う自分と、現実の自分との間のズレがあまりに大きく、しかも、折り合いをつけるスキルが低い。/現実の自分を素直に認めるなら認める。それが嫌なら、本機で別の自分を目指せばいい。そのどちらにも徹底できないまま、曖昧に己を誤魔化しながら生きている・・・・自分を実際以上の存在に見せたいと思うあまり、心が痛いところだらけになってしまうのだ。(P132)

○現実は厳しい、と思う。もちろん、そのことは知ってはいるつもりだ。でも、現実は何故かいつも思いがけないタイミングでその厳しさを突きつけてくるのだ。・・・いずれも何の悪気も無い心からの言葉たちだ。/現実の表面がべろっと剥けて、その素顔が現れる瞬間は恐ろしい。でも、隠されたままというのも、別の意味で恐ろしいのだ。(P200)

○私は自分が生きている世界が平和であることを強く願っている。みんなの命が危険に晒されるような非常事態の下では、私のようにがんばれず、しかも、他人と助け合えない人間は、存在を許されないだろう。自分の弱さについてあれこれ考えて、一つずつ文字を並べて、それで御飯が食べられる日が、一日でも長く続きますように。(P246)