とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

遠くの街に犬の吠える

 久しぶりに吉田篤弘の小説を読んだ。相変わらずのファンタジーな世界。冒頭に伏せ字を表わすバッテンの多く付けられた文章が載っているので、これをテンプレートとして同じ文章が繰り返されるのかと思ったが、それは最初の文章だけ。バッテン以外の部分が重要でも、バッテンに隠された部分に意味があるのでもない。バッテンそのものに意味があった。

 バッテン語の辞書を作ろうとしていた先生の元でバイトをしたことのある若者や弟子たちの話。日々の喧騒や静けさの中で、過去の音、遠くから聞こえてくる音を聞き取り、録音する冴島君。烏天狗の小説を音で書きなさいと言う編集者の茜さん。先生の恋文の返事を代書していた夏子さん。そんな少し変わった登場人物たちが静かに会話を続ける。先生が亡くなり、残された千通もの手紙の中に、先生の思いが込められている。それは、最後のバッテン。

 まあ、好きな人にはたまらなく好きなのか? と言いつつ、またもう一冊借りてきてしまった。お盆休みは吉田篤弘ワールドに浸ろうか。

 

遠くの街に犬の吠える (単行本)

遠くの街に犬の吠える (単行本)

 

 

○「音っていうのは、あれ、どこへいっちゃうんです?・・・たとえば、夕方の寺院の鐘が鳴る。・・・あんなに大きな音で存在感を示したのに、その存在はどうなってしまうんでしょう? すっかり消えてしまうんでしょうか。・・・音は何かにしみつかないのか、と」・・・「問題は、それをどうやってつかまえるかです」・・・「たとえば、このあいだ、あの路地で犬の遠吠えを録音していたとき、ぼくには、昔の時間の音が聞こえていました。(P22)

○「ええ、空の方から音が降ってくるんです。実際、いろいろなものが降ってきますからね。雨はもちろんのこと、春になれば、桜の花が降ってきます。条件がよければ、曇った日なんかには声も降ってきたり……」(P67)

○いつだったか、場末の古本屋でチェコ語のペーパーバックが大量に売られているのに出くわしたことがあった。・・・読めないのに本を取り上げては飽きずにページをめくり、箱の中で200を超える物語がひしめき合っている様に声をあげそうになった。/ここに物語がある―。/今にも箱の中から声が聞こえてきそうだった。/そういえば、「本は声ですから」と先生も云っていた。・・・無数の本棚が並び、気が遠くなるくらい大量の本があふれ返っていた。/そのすべてが声を持っていた。・・・世界は本という名の声で埋めつくされ、それらの声を発した人たちは、すでにあらかたこの世に存在していない。ただ声だけがのこされた。(P128)

○優先されるもの、選ばれたもの、残されたもの、そうしたものはもういいのです。ぼくはその背後に隠されたものを見つけ出し、埃を払ってきれいに磨いて元通りにしたい。そう願ってここまできました。/でも・・・ぼくは優遇されなかったものばかりに気をとられ、他のことに気がまわりませんでした。それでは、同じことじゃないか、とようやく気づいたのです。/愚かなことです。/ぼくはいつからか、「バッテン」を優遇していました。(P187)

○書き終えたら、いつものように便箋を折りたたんで封筒に入れ・・・封印のしるしとして、バッテンをひとつ-。/ふと思いました。/バッテンというのは、「あけてはならない」と少しばかり強い思いを示すものですが、その一方で、「ここにある」と誰かに伝えるための目印として記すこともあります。・・・ひとつだけのこされた、どうしても言葉にならなかった、最後のバッテンです。(P235)